村上康成『ようこそ森へ』(徳間書店)より 1988年

図1 村上康成『ようこそ森へ』(徳間書店)より 1988年

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ちひろ美術館コレクション なんて世界は素晴らしいのだろう

現在、私たちは戦争、格差、貧困、環境破壊、災害、など、多くの問題とともに生きています。しかし、世界には苦しいことや恐ろしいことだけではなく、素晴らしいこともたくさんあります。本展では、10ヵ国の画家たちの絵本のための作品をことばとともに紹介し、いま一度世界を見つめなおすきっかけとします。

自然のなかで

近年はキャンピングブームの再来といわれています。村上康成の『ようこそ森へ』は、キャンプにやってきた家族のようすを、一羽のカケスの視点から語る絵本です。森の住人であるカケスは、空から、木の上からと移動しながらこの人間の一家に、森の魅力を伝えようとします(図1)。

村上康成『ようこそ森へ』(徳間書店)より 1988年

図1 村上康成『ようこそ森へ』(徳間書店)より 1988年

しかし、森にやってきてテントをはった彼らに、その声は届いているのでしょうか……。一家は、森で水浴びをしたり、虫を取ったり、ご飯のために火をおこしたりと、自分たちの活動に熱心で、カケスの存在には、あまり気づいていないようです。ただ少年だけが、一瞬カケスと目を合わせます。
ページごとに変化する大胆な構図と、そぎ落された画面を通して、私たちは鳥のようにすこし離れた距離から、雄大な自然を感じ取ることができます。

想像するちから 創造するよろこび

頭のなかでそこに無いものを描き、形づくる想像力は、人間だけにそなわった力といわれています。『紙の町のおはなし』では、主人公の女の子が紙に色を塗り、窓を描くと、家ができあがります(図2)。

図2 クヴィエタ・バツォウスカー(チェコ)『紙の町のおはなし』(小学館)より 1999年

家のなかには不思議な猫や鳥が住んでおり、現実にはあり得ない登場人物や建物は、どこかユーモラス。平らになったり立体になったり、紙のもつ広い可能性を楽しんでいるクヴィエタ・パツォウスカーは、「みんなをこの紙の町へ招待して、たくさんのゆかいな仲間たちに会ってほしい」と語っています。

図3 ビンバ・ランドマン(イタリア) 三連祭壇画『ジョットという名の少年 羊がかなえてくれた夢』 2002-2003年

ビンバ・ランドマンによる『ジョットという名の少年』では、中世後期のイタリアの画家でルネサンスの先駆者ともよばれ、いくつもの宗教画の名作を残したジョット(1267年頃~1337年)が、画家になる前の少年時代を描いています。10ヵ国以上で翻訳出版されているこの絵本には、まだ8歳の少年が画家になることを夢みながら、きびしい生活のなかで、その夢にむかって一歩ずつ近づいていくようすが語られます。羊飼いのジョットは、羊の番をしながらも時間を忘れて木の枝で地面に羊や木や鳥の絵を描いていたのです。ランドマンは絵本を出版した後、この少年の成長していくようすを、聖人の生涯が描かれた教会の祭壇画のように描きました(図3)。この作品のために、古代の技法であるテンペラを用いたランドマンにとって、ジョットの創造の喜びは自分の姿と重なったことでしょう。

いっしょに わかちあう

自然や芸術に心を動かされるとき、それを分かち合うだれかがいることで、よろこびが増します。絵本『いっしょにいたらたのしいね』では、森で仲間のいなかった鳥と魚が友だちになり、相手をとおして、お互いの住む世界の魅力を新たに知ります(図4)。

図4  ユゼフ・ヴィルコン(ポーランド)『いっしょにいたらたのしいね』(評論社)より 1995年

ユゼフ・ヴィルコンはこの作品のためにアクリル絵の具とパステルによって、鳥の住む世界を金色、魚の住む水のなかの世界を青色で彩り、その色づかいは彼が影響を受けた中世ビザンティンの絵画を思わせます。

図5 武建華(中国)『舌ながばあさん』(小学館)より 2001年

『舌ながばあさん』は、森の木をすべて切り倒してしまったために水が枯れ、食べるものが無くて困っている村人たちのために奮闘する舌ながばあさんと、鬼の朱のばんのお話です。本来は人間を驚かすはずのおばけたちが、人々を助けます。この絵本の最後の場面では、緑がもどった山のなかで、子どもも大人も、おばけたちとなかよく遊んでおり、まさに楽園のようです(図5)。日本の昔のおばけを題材にしながら、舞台を中国に移したこの絵本は、国を超えた大らかさを持っています。「わたしたちの祖先は、自分たちの過ちをいく度となく修正しながら、文明を築き上げてきました。わたしたちもまた、常に自らの間違いを正しつつ、未来を創造していくべきだと思います。」と武は語っています。