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【開館20周年記念 Ⅰ】<企画展>

奈良美智がつくる 茂田井武展 夢の旅人

学校で習う美術のつまらなさは、それが自分の生活からかけ離れていたことだ。

僕は絵を描いたりしているが、実を言うといわゆる名画よりも生活する中で出会ったもの、たとえば絵本から学ばせてもらったほうが多い。

そして僕の好きな日本の絵本作家たちは、どこかしら茂田井武にその源流をみる気がする。

果たして僕もそのひとりに違いない。彼の美意識は生活の中に息づき、それゆえ逆説的に崇高だ。彼の絵の中には西洋も東洋もなく、ただ純粋な魂だけがある。

奈良美智

戦後の混乱期の子どもの本におびただしい数の絵を描きながら、日本の絵本の隆盛期を待たずに早逝した茂田井もたい武たけし。その画業は大切に受け継がれ、後に続く多くの画家たちにも影響を与えてきました。茂田井が亡くなった3年後に生まれ、今まさに現代美術のアーティストとして世界的に活躍する奈良なら美よし智ともも、茂田井の絵に心ひかれるひとりです。
本展では、奈良美智が今も「新しい」と感じる茂田井武の作品を選び、展覧会を構成します。
絵物語「夢の絵本」より 1948年


遠い異国で謳歌する自由――
その自由な魂から生まれる絵

1930年、21歳の春に、茂田井は鞄一つで欧州放浪の旅に出ます。滞在先のパリやジュネーブで、夜な夜な絵日記のように描きためた画帳「Parisの破片」「続・白い十字架」には、異国の人々と哀歓を共にした青春時代の日々が、生々しく映し出されています。異国の自由な空気のなかでの制作や思索は、ドイツに長く滞在した経験を持つ奈良にとっても、大切な時間でした。

画帳「Parisの破片」より 1930年頃-35年頃


おじいさんの子どものころの写真を
ひきだしから見つけたような――

茂田井は子どものころの記憶や、欧州の旅での印象、夢のなかの光景などを、まるで印画紙に焼き付けるように絵にしました。
時を経るごとに想い出の映像が「その時そのまゝの不死の姿」*に近いものとなってゆき、朦朧とした輪郭から鮮明度を加えていく――「現像液の中で印画紙を揺すぶっているようなもの」*だと、茂田井は自分の絵について語っています。
奈良はそうした絵から、おじいさんの子どものころの写真をひきだしから見つけたようなノスタルジーを感じるといいます。
*「印象のレンズ‐私の描きたい絵‐」 『教育美術』1952年5月号より

絵物語「宝船」(六) 1939年


父と子の濃い時間

狭い画室に貼られていたという童話やおもちゃの絵、「父と子のノート」と題した合作のノート、描き損じの裏に子どもが描いた絵まで、茂田井は大切に手元に残していました。子どもとの濃い時間のなかで生まれたそうした絵を、奈良は愛おしそうに選び出しています。
「人に見せるための絵よりも、自分との対話のなかで生まれる絵にひかれる」という奈良は、ほかにも夢から生まれた絵物語や戦時中の日記など、折々の茂田井の内面が色濃く表れた作品を選んでいます。
奈良美智の視点から、新たな茂田井武の魅力が開かれます。

白くまとお人形 1947年

茂田井 武

(1908~1956)

東京日本橋生まれ。
1923年、生家の旅館が関東大震災で全焼する。中学卒業後、太平洋画会研究所、川端画学校などで絵を学び、アテネ・フランセに通う。
1930年シベリア鉄道で渡仏、パリの日本人会で働きながら独学で絵を描き、日々の生活を画帳に描きとめた。
1933年に帰国。職を転々とした後、成人向け雑誌「新青年」などに挿し絵を描き、1941年から絵本を手がける。
1946年日本童画会入会。戦後日本の復興期に絵本、絵雑誌などの仕事で活躍する。
1954年小学館絵画賞受賞。48歳で亡くなるまで、病床で絵を描き続けた。

奈良 美智

1959~

青森県生まれ。
1988年、愛知県立芸術大学大学院修了の翌年にドイツに渡り、国立デュッセルドルフ芸術アカデミー修了。その後も、99年までドイツに滞在して制作と活動を行う。
2000年に帰国後、日本を拠点に世界中で展覧会を開催する。
2001年と2012年に横浜美術館で大規模個展、また2010年にはAsia Society Museum(ニューヨーク)、2015年にはAsia Society Hong Kong Center(香港)にて個展を開催した。絵画を中心にドローイングや彫刻など幅広い表現で、国や文化背景を超えた人々と共振し支持を得る。

関連イベント

ギャラリートーク

展示室で作品を見ながら、担当学芸員が展示のみどころなどをお話しします。

  • 日 程:3/11(土)・3/25(土)・4/8(土)・4/22(土)
  • 時 間:14:30~15:00
  • 申 込:参加自由(事前申込不要)
  • 料 金:無料(入館料別)