「いわさきちひろと堀文子 童画の世界」学芸員の見どころ①
現在、安曇野ちひろ美術館では「いわさきちひろと堀文子 童画の世界」を開催しています。担当学芸員が展示の見どころをご紹介します。
戦後、童画家としての仕事に取り組んだちひろと堀。
同じ時代を生きたふたりは、どのような関係だったのでしょうか?
ちひろと堀は、1918年生まれの同い年。
ともに青春時代を戦争のなかで過ごし、戦後の復興のなかで児童出版の発展に大きな足跡を残しました。
ちひろが童画家として少しずつ認められるようになったのは、1950年代のこと。
一方、すでに日本画家として力を発揮していた堀は、子ども向けの絵雑誌や絵本でも活躍していました。
堀にとって児童出版の仕事は、生活の糧を得る手段でした。同時に、印刷を通して、より多くの人に自分の絵を見てもらえることにも意義を感じていました。
なにより、敗戦後の日本の子どもたちに美しいものを届けたい、幼い心に最初に与える絵は、本格的なものでなければという思いから、堀は童画の仕事に精力的に取り組みます。
1950~60年代には、「キンダーブック」や「ひかりのくに」「こどものせかい」などの絵雑誌で、堀とちひろがともに活躍します。同じ号に、ふたりの絵が掲載されることも度々ありました。

堀文子 「おたんじょうび」
絵雑誌「キンダーブック」(フレーベル館) 1956年

いわさきちひろ 『ひとりでできるよ』
(福音館書店)より 1956年
ちひろは堀の存在を意識していたのでしょう。
この時期のちひろの絵には堀からの影響も感じられます。
1956年の小学館児童文化賞では、堀とちひろが最終選考に残りました。
ちひろは、絵の未完成さを認められながらも、その真摯な仕事ぶりが評価され、受賞しています。
その後、ちひろは童画家として認められ、新しい絵本表現を模索していきますが、1974年、55歳で亡くなりました。
堀は1970年代に絵本の仕事を離れる決意をし、その後も日本画家として制作を続け、100歳まで絵を描き続けました。
同じ時代に童画の世界で活躍したふたり。
それぞれの人生や、ふたりのあいだにあったつながりを知ることで、作品が少し違って見えてくるかもしれません。
展覧会は12月15日(火)まで。
どうぞお見逃しなく。
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