いわさきちひろ(1918-1974)と堀文子(1918-2019)は同じ年に生まれ、激動の昭和の時代を生きた同世代の画家です。
ともに青春時代を戦争のなかで過ごし、戦後の復興のなかで児童出版の発展に大きな足跡を残しました。
ちひろが童画家として認められ新しい絵本の表現を求める途上、1974年に55歳で早逝したのに対し、堀は1970年代に決意して絵本を離れ、100歳まで日本画家として絵を描き続けました。
本展では、ふたりの絵と人柄を愛する黒柳徹子(ちひろ美術館館長・堀文子記念館代表理事)の視点も交えながら、ちひろと堀の童画家としての仕事を紹介します。
戦後 童画家としての出発点
ちひろが童画家としてようやく認められるようになった1950年代、すでに日本画家として実力をもった堀が、子ども向けの絵雑誌や絵本で活躍していました。堀にとって児童出版の仕事は生活の糧を得る手段でしたが、印刷を通してより多くの人に絵を見てもらえることに意義を感じていました。なにより敗戦後の日本の子どもたちに美しいものを届けたい、幼い心に最初に与える絵は本格的なものでなければとの思いで、堀は童画の仕事に精力的に取り組みます。

図1 堀文子 「おたんじょうび」 絵雑誌「キンダーブック」(フレーベル館) 1956年
1950年代から60年代、「キンダーブック」(図1)や「ひかりのくに」「こどものせかい」などの絵雑誌に堀とちひろが名を連ね、同じ号にふたりの絵が掲載されることも度々でした。ちひろは同い年の堀を意識していたに違いなく、この時期のちひろの絵には堀からの影響も感じられます。1956年の小学館児童文化賞では堀とちひろが最終選考に残り、絵の未完成さを認めながらも真摯な仕事ぶりが奨励されて、ちひろが受賞します。
絵本の仕事 それぞれの個性
1956年に福音館書店から月刊物語絵本「こどものとも」が創刊されます。編集者の松居直は、創刊号の『ビップとちょうちょう』に堀を、12号の『ひとりでできるよ』(図2)に子どもの日常が描ける画家としてちひろを起用します。初の絵本の仕事を受けてちひろは当時5歳の息子をモデルに全力投球で臨み、同書で童画家としての地位を確立しました。松居は、抒情的な堀と叙事的なちひろの画風に合うよう依頼したと回想しています。

図2 いわさきちひろ 『ひとりでできるよ』(福音館書店)より 1956年
堀は1954年にメーテルリンクの「青い鳥」を原作にした『トツパンの絵物語 青い鳥』に絵を描き、1969年には新装版用に原画を描き直しています。その一場面「夜のごてん」(図3)では、月夜を飛び交う青い鳥やチルチル、魔法の花園に咲く色とりどりの草花が抽象的な形態と鮮やかな色彩で表現されています。
「色と形と幻想を折り込める絵本の世界は、他のどの出版物よりも次元の高いものとして私の心を動かせた。絵描きとして何一つ大切なものを犯されない努力に価する仕事」*1 という堀の絵本は、優れた色彩感覚と斬新な画面構成によってモダンな印象を受けます。

図3 堀文子 『トツパンの絵物語 青い鳥』(新装版、フレーベル館)より 1969年

図4 いわさきちひろ 『青い鳥』(世界文化社)より 1969年
ちひろも1969年に『青い鳥』を手がけています。夜の国の場面(図4)を、ちひろは主人公の子どもたちに焦点をあてて描きました。チルチルとミチルを画面上から飛び込むように配置し、手の仕草や顔の表情からも、青い鳥に夢中になるようすがいきいきと伝わってきます。物語の同じ場面を描いていても、ふたりの表現には大きな違いが見られます。
*1 堀文子「絵本と私」季刊「ひろば」冬期号40(至光社)1968年
至光社の「感じる絵本」
「感じる絵本」と称して新たな絵本づくりを目指した至光社の編集長武市八十雄も、1968年に堀とちひろ、それぞれと組んで絵本を企画します。堀が描きためていた木や野原のスケッチに谷川俊太郎の詩をつけた『き』(図5)を、ちひろは初の自作の絵本『あめのひのおるすばん』を制作します。自然へ深いまなざしをむける堀と、子どもの心の機微を描こうとしたちひろ。画家の個性がいかんなく発揮された至光社の絵本シリーズに、ちひろは『あかちゃんのくるひ』(図6)など自作の絵本を毎年1 冊のペースで計6冊、堀は1972年に自ら文も手がけた『みち』を発表しています。至光社の絵本は国内外でも高く評価され、ちひろは1971年に描いた『ことりのくるひ』で1973年にボローニャ国際児童図書展でグラフィック賞を受賞します。

図5 堀文子 『き』(至光社)より 1968年

図6 いわさきちひろ 『あかちゃんのくるひ』(至光社)より 1969年
堀も同賞を1972年に『くるみわりにんぎょう』(学習研究社1969年)で受賞するなど絵本画家として異才を放つ存在でしたが、日本画の制作に専念すべく1970年代以降は絵本の世界から離れます。
ちひろは「童画は、けしてただの文の説明であってはならないと思う。その絵は、文で表現されたのと、まったくちがった面からの、独立したひとつのたいせつな芸術だと思うからです」*2 と記し、絵本表現の可能性を追求し続けました。本展では1940年後半から70年代に描かれた絵雑誌や絵本の原画、印刷物などの資料を展示するほか、画家のことばから、ふたりの根底に共通する平和への思いを浮き彫りにします。
*2 いわさきちひろ「童画と私」「なかよしだより」(講談社)1964年
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