赤羽末吉(1910-1990)の絵本は、旅と切り離せません。本展ではスケッチや資料から赤羽の旅と絵本づくりのつながりをひもとき、その魅力を紹介します。
日本の風土
赤羽は、22歳からの15年間を中国東北部で暮らしていました。帰国すると、『スーホの白い馬』(1967年)に描いた乾燥した黄色い大陸の風土とは対照的な、湿り気を帯びた緑豊かで自然あふれる日本の風土に魅せられます。後年、「日本の文化のすべては、その湿度を前提として生まれたもの」*1として、独自の風土論を展開しました。また、「こうした独得の風土、生活から生まれた独得の文化を、しっかりと追及して、絵本を通じて子どもに伝えてゆきたいというのが、私の考えです」*2とも語っています。

図1 赤羽末吉 『そら、にげろ』(偕成社)より 1978年
『そら、にげろ』(図1)は、旅人が着物から逃げ出した鳥を追いかけて旅をするナンセンス絵本です。しだれ桜の咲く春から始まり、稲妻の走る夏の雨、秋の柿、ぼた雪の降る雪山、そしてまた春の景色へと画面が移り変わります。なかには、葛飾北斎《冨嶽三十六景 凱風快晴》や酒井抱一《夏秋草図屏風》を思わせる場面も登場し、日本の豊かな風土を表した絵画作品の引用も織り交ぜて、美しい風景が展開します。
カゲリの美を求めて

図2 赤羽末吉 越後湯沢 1956年2月23日
現存する70冊もの赤羽のスケッチブックのうち10冊には雪国が描かれています(図2)。1947年に帰国した赤羽は、生活が落ち着き始めた1954年に初めて雪国(秋田・新潟)を訪れました。その後も冬になると1 週間から10日かけて東北地方を中心に雪国を巡り、膨大なスケッチや記録を残す旅を10年近く続けました。特に3 度目となった1956年の雪国取材(新潟)では、乗車していた飯山線が吹雪により足止めされ、雪の恐ろしさを痛感します。一方で、雪国の人々からの施しを受け、実際の生活や子どもたちの遊び、伝統文化にも触れ、収穫の多い旅になったとも語りました。

図3 赤羽末吉 『つるにょうぼう』(福音館書店)より 1979年
こうした雪国通いを経て、赤羽は日本の美しさは湿気、陰りの美しさにあると発見し、それを表すために水気を含んだ筆で和紙に墨をにじませて描く墨絵の表現を追及します。こうした試みは、最初の絵本『かさじぞう』(1961年)につながり、やがて雪の表現の最高峰ともいえる『つるにょうぼう』(図3)に結実しました。
歴史・神話の舞台
4年越しで制作した『源平絵巻物語』シリーズ(1971-73/1979年、全10巻)は、源平合戦の主要なエピソードに加え、運命に翻弄される源義経の人生をたどった物語です。赤羽は、過去の絵画や文学作品を参照しますが、『第五巻 ひよどりごえ』(図4)の逆落としの資料には納得のいくものがないとして、実際に舞台となった兵庫県神戸市にある鉄拐山を訪れています。現地で須磨寺の住職に取材し、山の東南斜面を蛇行すれば不可能ではないと結論付けた赤羽は自信をもって本作に挑みました。しかし「絵本はドラマをかくので、図鑑をかくのではない」として、鎧などの正確さに固執せず、ときには馬の躍動感やいきいきとした人物の動きをあらわすことを優先して簡略化するなど、最終的には絵本としての見せ方を重視して、柔軟に表現しました。
このような徹底した姿勢は『日本の神話』シリーズ(1983-87年、全6巻)でも同様で、念入りな現地取材や時代考証を経て、完成までに7年を要しました。

図4 赤羽末吉 『源平絵巻物語 第五巻 ひよどりごえ』(偕成社)より 1971-73/1979年
南国の色彩
1973-74年にかけて、赤羽は沖縄県・慶良間列島を訪れました。このときのスケッチブックには「あの水の色はなんであろう。深い底にあるエメラルドが表面にかがやくようにういている」と記され、南国の色彩を目にした画家の感動が伝わります。同じスケッチブックには夕暮れの空の絵(図5)が残されており、現地の鮮やかな色彩を紙にとどめようと筆を走らせた姿が目に浮かびます。この経験は『黄金りゅうと天女』(1974年)に生かされ、朱とエメラルドの色彩が鮮やかに物語を彩っています。また、1974年頃には『ほうまんの池のカッパ』の取材のため、鹿児島県の桜島を訪れています。この旅の印象から「南国らしく光線の強さをだすため、画面の白を極力生かし、線を細くして、ギラギラとハレーションを起こした感じにする」*3として、新しい光の表現も試みました(図6)。

図5 赤羽末吉 1973年12月12日(推定)

図6 赤羽末吉 『ほうまんの池のカッパ』(BL 出版)より 1975年
旅する画家
赤羽は1948年からGHQ の民間情報教育局(CIE)で、1952年から1969年まではアメリカ大使館で働いたサラリーマン画家でした。仕事柄出張も多く、そこに休暇をつけて、取材旅行に限らず日本各地を訪ね歩いています。また、1965年頃に完成した長野県・黒姫高原の山荘にも毎年のように通いました。
残されたスケッチ群には、そうした赤羽の旅の足跡に加え、民話や伝承など物語の題材となる土地を訪ね歩き、見聞きし、肌で感じた感動が息づいています。旅にまつわる絵本とともに、赤羽の絵本づくりを支えた膨大なスケッチの一端もお楽しみください。
*1 *2赤羽末吉「国際アンデルセン賞画家賞授賞式挨拶」 1980年
*3赤羽末吉『絵本よもやま話』(偕成社) 1979年
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