太田治子講演会「ちひろと金子みすゞ」
「私と小鳥と鈴と」
みすゞさんの詩にある「みんなちがって、みんないい」という言葉は、ちひろさんの絵に結びつきます。鈴も小鳥も私もいい、それぞれに良さがあるといっています。自然も芸術もこれが一番というものはありません。ただし、人ぞれぞれに好みがあり、それを人に押しつけるのはよくありません。他者を認めることが、自分の良さを認めることになるという真実を、みすゞさんの詩もちひろさんの絵も、ふわりとやさしく教えてくれます。
「大漁」
「浜は祭りのようだけど、海のなかでは何万の鰮(いわし)のとむらいするだろう」というのは、みすゞさんならではの発想です。明治時代、人々は日清・日露戦争に勝ったとわきたったけれど、そういう気持ちに駆られるように政府が仕向けたのです。「勝った勝った」というのと大漁はイコールです。海の底では何万のお弔いをしているというのは、日露戦争でものすごい数の方が亡くなっていることに通じます。日露戦争の後、悲しいことに、みすゞさんのお父様は、中国で現地の人に殺されました。この美しい詩を読んで、日本と中国のあり方、日清・日露戦争が何だったのかということを感じます。みすゞさんの詩には、どこにも反戦についての言葉は出ていませんが、人が亡くなることが、お魚が亡くなることに置きかえられて、悲しみが自然に伝わってきます。
みすゞさんの詩は、静かに話しかけるように心に伝わってきます。ちひろさんの絵も同じです。けれど、ちひろさんは芯の強い方だったと思います。ベトナム戦争のときに描いた、眼尻を上げて、子どもを抱くお母さんの絵は、きっと描かずにはいられなかった絵なのでしょうね。
「土」
この詩にある、打たれる土が良い畑になり、良い道になり、車を通すという言葉は、富国強兵、立身出世の考えに通じます。けれどこの詩は最後がすばらしいのです。打たれなくても踏まれなくてもいい、「名のない草のおやどをするよ」と。努力する姿は美しいけれど、土が土らしくあるだけで良いという感覚は「みんなちがって、みんないい」と重なります。
「明るい方へ」
私は「明るい方へ」というタイトルで父・太宰治と母・太田静子のことを2年間かけて書きました。太宰と母の真実を書くことは、重くつらいことでした。そこで、みすゞさんの詩をタイトルにいただいたのです。みすゞさんは、実際にお父さんの記憶がないだけに、憧れる気持ちがあったのだと私も実感としてわかります。深く濃い悲しみを持ちながら、詩を書くことで救われたのでしょう。そして、傷ついても、かわいい女の子のお母さんであることが救いだったのだと思います。今日は、会場に金子みすゞさんのお嬢様、上村ふさえさんがいらしています。ふさえさんにお会いすると、みすゞさんもきっと、明るくてかわいらしい方だったのだなと思えてうれしくなります。
(原島恵)
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