西村繁男 『がたごとがたごと』(童心社)より 1999年

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ちひろ美術館コレクション 江戸からいまへ 日本の絵本展

日本で広く絵本(絵入り本)が読まれるようになったのは、印刷技術が進歩して版本が流通するようになった江戸時代のこと。本展では江戸時代を起点に、現代までの絵本の歩みと広がりを、ちひろ美術館コレクションをもとに紹介します。伝統的な絵巻から、江戸期に盛んに出版された草双紙、明治期以後広がった子どものための絵雑誌、戦時中の絵本、そして今も読み継がれる絵本──。およそ400年の間に日本の絵本がどのように変化し、発展したかを見ていきます。

江戸の草双紙

日本で広く絵本(絵入り本)が読まれるようになったのは、江戸時代のこと。限られた人しか手にできない手描きの写本が長く続いていましたが、江戸時代には木版の技術が進歩して版本が流通するようになり、浮世絵師たちの手がける「草双紙」が盛んに出版されました。草双紙の先駆けとなったのは江戸時代中期に子どもへのお年玉として出版された「赤本」で、古くから語り継がれてきた昔話などが題材になりました。草双紙は時代が下るにつれて「黒本」や「青本」、戯作文学の舞台となった「黄表紙」へと、次第に大人向きのものに広がり、江戸後期には長編の「合巻」も出版されるようになりました。活字を用いずに、一枚の版木に絵と文字を彫る整版で印刷された草双紙は、絵と文字が一体となって物語を語り、大人も子どもも夢中にさせたといいます。

赤本『さるかに合戦』 江戸時代中期(復刻版)

西欧文化と童画

長い鎖国から開国した日本では、260年あまり続いた江戸幕府が滅び、1868年、明治へと元号を改めます。新しい国家体制のもと、欧米を模範とした産業や教育、文化などの近代化が推し進められたこの時代には、西欧美術とともに、当時イギリスを中心に花開いた絵本の文化ももたらされました。また雑誌が新メディアとして普及するなか、子ども向けの雑誌も出版されるようになりました。なかでも1922年に創刊された絵雑誌「コドモノクニ」では岡本帰一や清水良雄、武
井武雄、初山滋ら個性豊かな画家たちが活躍しました。純粋な童心の世界を描いた彼らの「童画」は、当時の子どもたちの憧れでした。

清水良雄 おふね 児童雑誌「赤い鳥」創刊号(赤い鳥社) 1918年

初山滋 『コドモエホンブンコ 一寸法師』(誠文堂)より 1928年

しかし1937年に日中戦争が開戦して戦時統制が強まると、子どもの本も次第に戦時色を帯び、戦意高揚に利用されていきました。太平洋戦争に突入してからは、物資も欠乏し、多くのいのちが奪われて、子どもの本の文化も潰えていきました。

戦後から現代の絵本

敗戦によってGHQの占領下におかれた日本では、アメリカの高い水準の絵本が紹介されるようになりました。そうした絵本に影響を受けて、「岩波の子どもの本」や月刊絵本「こどものとも」など、ひとつの物語をひとりの画家が描くスタイルの絵本づくりへの模索が始まりました。
1960年代になると絵本を手がける出版社が増え、『いないいないばあ』や『スーホの白い馬』など、半世紀余りを経た今も読み継がれるロングセラーが誕生します。絵本は画家たちの新たな表現形式として注目され、絵も文も手がける絵本作家も登場するようになりました。今や、絵本の対象はあかちゃんから大人にまで広がり、その題材はあらゆるジャンルにわたっています。
江戸時代からのおよそ400年の間に、印刷や本の形、絵画や文学、子どものとらえ方などさまざまな要素が絡み合いながら絵本は変化してきました。繰り返し絵本の題材となってきた昔話をみても、時代によって物語の解釈は変わり、新しい絵本が生まれています。ちひろ美術館のコレクションで紹介する江戸時代から現代までの絵本の歩みと広がりをご覧ください。

西村繁男『がたごとがたごと』(童心社)より 1999年

 

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