対談 谷川俊太郎×松本猛―長新太の子どもの本―
9月14日(土)、現在開催中の企画展「ずっと長さんとともに―長新太が描いた子どもの本―」の関連イベントとして、詩人の谷川俊太郎さんと、ちひろ美術館常任顧問で絵本学会会長の松本猛を迎えて、「対談 谷川俊太郎×松本猛―長新太の子どもの本―」を開催しました。長さんと交流のあったふたりが長さんについて語りあいました。長さんが影響を受けたアーティストや谷川さんの詩と響きあう部分など、最初から最後まで興味のつきない内容でした。
冒頭では、谷川さんが長さんとの共作のなかで一番好きだという『みみをすます』を谷川さんご本人が朗読してくださいました。
長さんのナンセンスの本質に迫るこんなやりとりも。
谷川:長さんってノンセンスなことをやりながら、日常生活はきちんとしていた人だと思うんですよ。
松本:紳士でしたよね。長さんの現実生活と絵にはギャップというか・・・。
谷川:ギャップではなくて、意味を自分のなかで確立しているからこそ、ノンセンスに生きることができるんだと思います。(哲学者の)鶴見俊輔さんは、ノンセンスを「存在の手触りを教えてくれるもの」と言っていて、つまり、意味をひきはがすことで、実在の手触りが生まれるんです。
松本:長さんの場合、現実の世界に対する抵抗感なんかがあったのでしょうか?
谷川:根本的に意味って人間がつくりだしたもので、言語が発生する前は世界は無意味だったって、僕は考えるんです。多分、長さんも似たようなことを考えていたんじゃないかな。野生の動物は、自分の肉体だけで生きてるわけでしょう。それが基本的なリアリティだと。そのリアリティの上に言語はかぶさっている。言語の皮膜を取り去った本当の現実の手触り、実在感っていうのをノンセンスは教えてくれる。長さんのノンセンスは、理詰めでは出てこないでしょう。インスピレーションから出てくると思うんです。長さんの場合、イメージから出てくることもあるのかもしれないけれど、言葉で出てきているようなところがあるんです。最初の2行でポンと違う世界に行けちゃうみたいな。彼は、興味のある現代美術を見ることも含めて、体験を全部、意識下に流し込んじゃっているんじゃないかな。それを簡単に言語化したり、写実的な絵にしないで一旦意識下に持って、あるときポッと出てくるのを待っているような気がする。僕もそういうところがあるので、自分に引き寄せているのかもしれないけれど。だから、長さんが好きだったっていう漫画家のジェームズ・サーバーなんかとは全然違う世界だと思うんですよね。サーバーは人間の世界でのユーモアなんかを描いているけど、長さんはもっと飛んでいますよね。
ふだん会う長さんは、いつも物静かで紳士的だったと口をそろえるふたり。谷川さんは「あの世とこの世を往復してるみたいなところがあったよね。」とも。
もしかしたら、この日、長さんもふらりと会場に聴きに来ていたのかもしれません。
(H.M)
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