地球上に戦争がなきように

1945年3月10日未明、「東京大空襲」により東京下町の大部分が焦土となり、一夜にして多くの命が失われました。
 
いわさきちひろは5月の空襲で、中野にあった家を焼失し、一面の火の海のなかを家族とはぐれ、川のあるあき地へ逃げ、バケツで水をかぶったといいます。ちひろは26歳でした。この体験は、ちひろのその後の生き方に大きな影響を与えました。
 
エッセイストであり、ちひろ美術館の支援会員でもある海老名香葉子さんは、当時11歳。疎開していて生き延びたものの、両親、兄2人と弟、祖母を3月の空襲で亡くし、孤児となりました。(そのころの思い出を『いつも笑顔で あの戦争と母の言葉』(新日本出版社)につづられています)
上野公園には、この悲しい出来ごとを想い起し、平和な時代へとつなぐために「時忘れじの塔」が海老名さんと有志により、18年前寄贈・建立されました。
塔の前では毎年3月9日に「時忘れじの会」が行われます。今年も会は中止になったものの、海老名さんが作詞した歌(作曲:田中和音)が、彼女の挨拶の後、台東初音幼稚園、東京朝鮮第1初中級学校幼稚班の子どもたち、そして中国出身のハンさんにより、3つの言語で歌われ、発表されました。
その歌詞の最初をご紹介します。
「ババちゃまたちは伝えます/地球の皆んなが/手をつなぎましょう 未来の子よ/ババちゃまたちは伝えます/地球上に戦争がなきように/祈りをこめて伝えます/心と心をつなぎましょう 皆んなで/地球上に戦争がなきように/友となって伝えましょう」
 

時忘れじの塔

時忘れじの塔

春の花と子どもたち 1965年頃