瀬川康男 『絵巻平家物語(九) 知盛』(ほるぷ出版)より 1990年 個人蔵

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没後10年 瀬川康男 坦雲亭日乗-絵と物語の間(あわい)

今年は瀬川康男の没後10年にあたります。本展では、東京を離れて制作に没頭した1977年以降の作品を、日記につづったことばとともに展示します。『いないいないばあ』で知られる瀬川の、画家としての人生と絵にかけた思いを紹介します。

日記「坦雲亭日乗」

1960年に初の絵本『きつねのよめいり』を出版した瀬川は、3作目の『ふしぎなたけのこ』で第1回BIBのグランプリを受賞、以後、仕事の依頼が相次ぎ多忙を極めます。体調を崩した瀬川は、1977年から5年間、群馬県の北軽井沢で過ごした後、1982年に、長野県の山間にある青木村に居を移しました。土間や五右衛門風呂がある古い大きな家を「坦雲亭たんうんてい」と名付け、長い廊下の先にある日本間をアトリエにして創作に没頭します。
1983年夏から、瀬川は「坦雲亭日乗(たんうんていにちじょう)」と題した日記を書き始めます。愛犬や友人、里山の人々と交流した穏やかな時間、張りつめた創作の時間――亡くなるまで書き続けた日記には、坦雲亭で過ごした時間が記録されています。

絵本『絵巻平家物語㈨ 知盛』

「こんどは、絵が俺を、引いて行く。
苦しみながら歩け、行ける所まで行け、と云う」

日記「坦雲亭日乗」より 1990年7月14日

1983年から1990年まで、瀬川は、平家物語に登場する人物の人生を全9巻で描く絵本シリーズ『絵巻平家物語』の制作に取り組みます。膨大な資料と取材をもとに構想を重ねた本作は、「絵のために苦しむことはみな苦しんだ、という気がする」と語る創作となりました。
最終巻は、平清盛の三男であり、平家滅亡を見届けた武将・知盛の物語です。この巻では、西洋の古典的絵画技法・テンペラが使われました。知盛が平家全滅の瞬間に船上から入水する壇ノ浦の戦いでは、テンペラの透明な絵の具層が、波間や背景で独特の光沢を放っています。
「知盛」の題箋だいせんがついた画帳には、下絵の数々とともに、各武将の名前、知盛との関係、船上での行動などを書き記した頁があり、武者合戦の緻密な構想のあとを見ることができます。すべての人物の動きや表情、鎧の模様までをも丁寧に描いたこの絵本には、壮大な歴史のなかに生きた人々ひとりひとりの人生が描きこまれています。

瀬川康男 『絵巻平家物語㈨ 知盛』(ほるぷ出版)より 1990年 個人蔵

瀬川康男 『絵巻平家物語㈨ 知盛』(ほるぷ出版)より 1990年 個人蔵

絵本『だれかがよんだ』

1981年、瀬川は北軽井沢の家の庭に来ていた茶色い犬を「オビ」と名付けて飼い始めます。坦雲亭でも、白い雄犬・チーも伴って行く散歩を日課にしながら、十数年をともに暮らしました。オビは瀬川の自作の絵本『だれかがよんだ』に登場しています。「おび おいで」の呼び声に、「だれかは だれか」と答えると、声の主である野の花や月のうさぎが姿をあらわします。ことばの繰り返しが次の展開を期待させます。
瀬川は、画家・田口安男に、かねてより興味があった黄金背景のテンペラ技法の指導を受け、この絵本に用いました。「彼岸の空間を簡単に表現しうる唯一の材料」である金箔の背景のなかで、植物や犬たちは等しく存在し交流しています。

「身に寸鉄も帯びず、無一物で生きる
四つ足のものたち、オビと、チーを、思う」

日記「坦雲亭日乗」より
1997年8月23日

瀬川康男 『だれかがよんだ』(福音館書店)より 1989年 ちひろ美術館寄託

瀬川康男 『だれかがよんだ』(福音館書店)より 1989年 ちひろ美術館寄託

写生からタブローへ

1977年、北軽井沢に移った瀬川は、自然の形と向き合うため、山の植物を採取しては無心で写生をしました。鉢に植えて成長を観察したものもあり、「植物志」と書かれた黒い手帳には、ふきのとうの成長のようすや、葉や茎の長さをミリ単位で記録しています。葉の凹凸や密集する小さな花弁をも細密に描いたふきのとうの写生には、「無限の長さと感ずるまで、息をつめてみつめてみる。植物は植物の形をぬぎすてて、金色にかがやく本来の顔をあらわす」と語っていた画家のまなざしや、その先に見たいのちの姿が写しこまれています。

「花が生まれ 育ち咲くように素描すること」

黒いノートより 1970年代後半

瀬川康男 ふきのとう 1970年代後半 個人蔵

瀬川康男 ふきのとう 1970年代後半 個人蔵

1981年夏、瀬川は手帳に「植物写生を休む」と書きます。植物の形の完璧な美しさに触れ、「写生じゃ、追いつかない」と悟った画家は、写生を通してとらえたものを、絵本だけでなくタブローを舞台に独自の表現として結実させていきました。
「夢にとぶ」では、フクロウとともに、文様や線の装飾が画面全体を埋め尽くしています。素粒子同士が接触して放つ光の曲線・クォーク線の写真を見たとき、自らが目にしていた「無限に変化する模様」の正体であると確信した瀬川は、いのちの根源にある形を、波動の模様で描き出していきました。
「絵からものがたりが生まれる ものがたりから絵が生まれる そのあわいのところで おれは生きていたい」と語った瀬川康男。絵に向けた渾身の思いとその表現をご覧ください。

「基本の形が見えてくる 白昼夢の形である
あの無限に変化してやまない 細胞の原型
これが世界の基本形」

日記「坦雲亭日乗」より 1996年7月10日

瀬川康男 夢にとぶ 2005年 エプソンアヴァシス株式会社蔵

瀬川康男 夢にとぶ 
2005年 エプソンアヴァシス株式会社蔵

瀬川康男(1932-2010)

1932年愛知県岡崎市生まれ。13歳より日本画を学び、17歳で油絵を始める。1960年、初めての絵本『きつねのよめいり』を出版。1967年『ふしぎなたけのこ』で第1回BIBグランプリ、1968年『やまんばのにしき』で小学館絵画賞、1987年『ぼうし』で絵本にっぽん賞大賞、講談社出版文化賞絵本賞、1988年国際アンデルセン賞画家賞次席、1989年『清盛』でBIB金のりんご賞、1992年『絵巻平家物語(全9巻)』で産経児童出版文化賞大賞など、国内外の受賞多数。1977年より群馬県の北軽井沢に、1982年より長野県の青木村に住み、絵本と並行してタブローの制作も続けた。