平和で、豊かで、美しく、可愛いものがほんとうに好きで、そういうものをこわしていこうとする力に限りない憤りを感じます。今の世の中、いろんなものが失われていってるでしょう。とても素朴なんだけれどたいせつなもの、それが絵本の中にはあるんです。
私のひととき――「素朴だけど大切なものを描きたい」 1972年
ちひろは生前、日記や手帳、エッセイなどに多くのことばを遺しました。そこには、創作への信念や家族への思いなどがつづられています。年代を追って、絵とことばを合わせて見ると、移り変わる時代のなかで模索しながら、自らの表現を見出していく姿が浮かび上がります。
情熱、再び
戦いがおわった日、心のどこかがぬくぬく燃え、生きていく喜びがあふれだした。忘れていた幼い日の絵本の絵を思いだし、こどものころのように好きに絵を描きだした。
「絵本と私」絵雑誌「こどものせかい」第20巻11号(至光社) 1968年
幼いころから絵を描くことが好きで、女学校時代には洋画を学んでいたちひろは、画家になりたいと願いますが、戦争により一度はその夢をあきらめています。1945年夏、両親の郷里・信州で終戦を迎えたちひろは、翌年、松本公会堂で行われた共産党演説会に参加します。そこで戦争の実態を知るとともに、反戦を唱えて投獄された人がいたことに感銘を受け、自らの生き方を真剣に考え始めます。
この年の5月、ちひろは党宣伝芸術学校に入学するために上京し、再び画家への道を歩み始めます。同年、人民新聞社に職も得て、文も絵もかく記者として仕事を始めました。翌年には「働く婦人」や「労働戦線」で女性が働く現場を記事にし、強い共感を寄せています。前衛美術会や日本美術会に入会し、社会派リアリズムなどの当時の先鋭的な動向を学びながら、美術展にも出品する一方、日本童画会に入会して童画家としても活動を始めました。当時の自画像(図1)には、自力で道を拓こうとする若き日のちひろの姿を見ることができます。

図1 自画像(27歳) 1946年9月11日
1950年、松本善明と結婚、翌年には長男・猛が生まれました。多忙を極めるなかでも、家族との暮らしや子育てを通して得た実感は、新たな表現へと向かう礎となります。
子どもを描く
私は、工場の勤労者の生活は深く知らないかもしれませんけど、母と子の姿なら知っています。私も、子をもつ母親だからです。迷うことなく、スッキリした、ある意味では少々モダンなものを、思いきって描こうと決心して、絵筆をとりました。そして、おもいました--これからは、「ドロ臭さをださなければ」などと苦しむのは、もう、やめようと。
「表紙絵について」雑誌「子どものしあわせ」(あすなろ書房) 1963年
1955年11月の「日本童画会会報」で、「童画に於けるモダニズムについてどうお考えですか」との問いに対し、ちひろは「近頃の画壇のモダニズムは、もうゆきつくところへ、いったという感じがいたします。それを通過した新しいリアリズムを童画の中に生かしてゆきたいものと私は思います」と語り、母として見つめた子どもの姿を描くことへと向かっていきます(図2)。

図2 「いぬの あかちゃん」 1953年
1963年から描き始めた雑誌「子どものしあわせ」の表紙絵(図3)の仕事は、大きな転機となりました。子どもをテーマに自由に描くことができた仕事を通して、写実的でなくとも、自分が感じる「夢を持った、美しい子ども」の姿は、人々の共感を得ることができるとの確信に至っています。

図3 スイートピーとフリージアと少女 1963年
アンデルセン童話の普遍性
およばずながら、わたしも長い生命をもった、童画家でありたいと思う。さざなみのような画風の流行に左右されず、何年も読みつづけられる絵本を、せつにかきたいと思う。
「童画とわたし」「なかよしだより」455号(講談社) 1964年
1950年代から60年代にかけて、数多くの童話集が刊行され、ちひろも毎年のように童話集の仕事を手がけました。たくさんの童話のなかでも「詩のようにことばの短く、うつくしく、いろいろなことを思いうかべることのできる」童画が好きと語っていたちひろは、人の世の悲しみや現実、心のひだを描き、時代や国境をも越えた普遍性を持つアンデルセンの童話に深く共鳴し、繰り返し絵本(図4)や単行本にも描きました。

図4 船を見つめる人魚姫『にんぎょひめ』(偕成社)より 1967年
絵本のためのことばがほしい
自分で絵もことばも考えて、絵とことばとが一体となった本をつくりたいと思うのです。絵本のためのことばがあっていいのではないでしょうか。
「わたしの昨日・今日・明日…」「月刊ほるぷ」(ほるぷ出版) 1969年
1968年、ちひろは至光社の編集者・武市八十雄とともに、「絵本にしかできないこと」を求めて実験的な絵本づくりを始めます。1作目の『あめのひのおるすばん』(図5)では、「雨の日」「留守番」などの大まかなプロットをもとに絵を描いて構成し、短いことばをつける手法で少女の心の世界を描き出しました。「すべて自分で考えたような絵本をつくりたい」と思っていたちひろは、編集者とともに、自ら文や構成も考える絵本づくりに意欲的に取り組み、絵本が持つ可能性を追求していきます。イメージや感覚を重視した試みは、日本の絵本に「感じる絵本」と呼ばれる新たなジャンルを拓きました。

図5 カーテンにかくれる少女『あめのひのおるすばん』(至光社)より 1968年
本展では、遺されたことばを手がかりに、ちひろの人物像や創作の軌跡をたどります。
SNS Menu