田畑精一 『おしいれのぼうけん』(童心社)表紙 1974年

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没後1年 田畑精一『おしいれのぼうけん』展

1974年に刊行された『おしいれのぼうけん』は子どもたちの絶大な人気を集め、232万部を超すミリオンセラーとなっています。本展では、昨年89歳で亡くなった絵本画家・田畑精一の画業を偲び、『おしいれのぼうけん』の原画を展示するとともに、作家と画家と編集者が三位一体となった絵本づくりを紹介し、世代を超えて読み継がれる作品の魅力を解き明かします。

新たな試み 三位一体の絵本づくり

『おしいれのぼうけん』には、「さく/ふるたたるひ たばたせいいち」と、作家と画家の名前が並んで表記されています。
1971年、児童文学の評論でも活躍していた作家の古田足日は、童心社編集部の酒井京子から、これからの絵本のあり方について相談を受けます。古田は、現代の子どもたちの生活をとらえた保育園を舞台にした絵本があるとよい。文章に絵を添えるのではなく、作家と画家と編集者が三位一体となった絵本づくりが理想的である、と答えています。あらためて酒井から絵本の依頼を受けた古田は、画家に田畑精一を指名します。
田畑は保育園の現場をリアルに描くために、実際に「入園」するなど取材を重ね、園児が使うような画用紙に鉛筆で80頁に及ぶ絵本の絵を描いています。迫力ある鉛筆のタッチからは、子どもの活力や熱量が伝わってきます。気の強いさとしと泣き虫のあきらの、主人公の個性のちがいも描き分けています。

田畑精一 『おしいれのぼうけん』(童心社)より 1974年

「ねずみばあさん」の存在

先生に叱られて、おしいれに入れられたさとしとあきらが、地下のねずみばあさんと対決していく物語のなかで、田畑が描く「ねずみばあさん」の印象は強烈です。人形劇団の舞台美術で人形の頭を手がけていたこともある田畑は、ギョロ目に大きな鉤鼻と前歯といった造形で、恐怖の対象を見事に具現化しています。暗いトンネルを抜けた先に出現する夜の高速道路や高層ビルは、現代の象徴として描きたいと田畑が発案したものです。おしいれの暗闇やねずみばあさんと対峙するなかで、不安から屈しそうになる瞬間、「てをつなごう」と呼びかけ、怖くても子どもだけで力をあわせて立ち向かう姿は、不安な現代を生きる子どもたちに勇気を与えてくれます。

田畑精一 『おしいれのぼうけん』(童心社)より 1974年

田畑精一 『おしいれのぼうけん』(童心社)より 1974年

日・中・韓 平和絵本『さくら』

本展ではあわせて、「日・中・韓 平和絵本」の企画から生まれた自伝的絵本『さくら』も展示し、平和への信念を貫いた田畑の人物像を紹介します。
「日・中・韓 平和絵本」は、日本・中国・韓国の平和を願う絵本作家が国を超えて交流を重ね、歴史と向き合い、平和と戦争について語り合ってつくられた絵本シリーズです。『さくら』は、その1冊として制作されました。
日中戦争がはじまった1931年に生まれた「ぼく」は、聖戦を勝ち抜くために、桜の花のように散れ、散れ……と教えられ、軍国少年として育ちました。終戦の年に父を亡くし、戦後、貧しさに苦しむなかで、戦争によって世界中の大勢の人がいのちを失い、親しい人を失った人たちの悲しみが世界をおおっていることに気がつきます。さくらの老木がぼくに語りかける「戦争だけは ぜったいに いかん!」ということばは、田畑精一自身が抱き続けた願いです。

田畑精一 『さくら』(童心社)より 2013年

田畑精一 『さくら』(童心社)より 2013年

 

田畑精一 (たばた せいいち)

(1931~2020)

1931年大阪市生まれ。京都大学理学部中退後、本格的に人形劇にうちこむ。人形劇団プーク・劇団人形座などで活動の後、古田足日と出会い、子どもの本の仕事をはじめる。主な作品に『おしいれのぼうけん』、『ダンプえんちょうやっつけた』、『ゆうちゃんのゆうは?』、『ひ・み・つ』(いずれも童心社)、『さっちゃんのまほうのて』、『ピカピカ』(いずれも偕成社)などロングセラー多数。「日・中・韓 平和絵本」シリーズの呼びかけ人のひとりであり、自身は『さくら』を手がけた。紙芝居も数多く、『おとうさん』で高橋五山賞画家賞受賞。