いわさきちひろ バラ飾りの帽子の少女 

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【開館40周年記念 Ⅳ】

ちひろの歩み

「さざなみのような画風の流行に左右されず、何年も読みつづけられる絵本を、せつにかきたいと思う。
もっとも個性的であることが、もっとも本当のものであるといわれるように、わたしは、すべて自分で考えたような絵本をつくりたいと思う。」

いわさきちひろ1964年

大正デモクラシーに湧く、1918年に生を受けたいわさきちひろ。幼少期には絵雑誌「コドモノクニ」に親しみ、昭和初期の日本洋画界の重鎮と称された岡田三郎助に14歳で師事するなど、恵まれた少女時代を過ごしています。その後、戦争と家長制度という時代のうねりに翻弄されながらも必死に乗り越え、戦後日本の新しい時代の幕開けとともに、ちひろもひとりの人間として自立、やがて童画家の道へと進みます。本展では、2018年に生誕100年を迎えるいわさきちひろの人生と画業の歩みを、改めてみつめます。

童画家として

終戦の翌年、1946年に画家を志して上京したちひろは「人民新聞」の記者となり、戦後の復興期に懸命に生きる市井の人々の姿を、記事やカットに描いています。1947年に前衛美術会創立に参加、日本美術会、日本童画会の一員になったのもこのころです。

いわさきちひろ 屋根裏のアトリエで本を読む自画像 1947年頃

1950年代半ばから、ちひろは絵雑誌や教科書などの仕事を多数手がけます。創刊まもない月刊絵本「こどものとも」で初めての絵本『ひとりでできるよ』の依頼を受けたのは1956年のことでした。ちひろは当時5歳だった我が子をモデルに、子どもの暮らしをいきいきと描きました。

いわさきちひろ そうじをする子ども『ひとりでできるよ』(福音館書店)より 1956年

若い人の絵本

1940年代後半から1960年代なかごろにかけて、ちひろはアンデルセンの作品を繰り返し描いています。1966年、アンデルセンの物語の舞台を訪れたいとの思いからヨーロッパ旅行を決行し、そのスケッチをもとに『絵のない絵本』が制作されました。鉛筆と墨の濃淡によるモノトーンで描き出された作品には、登場人物の心の機微や情感が細やかに表現されています。以来、童心社の「若い人の絵本」はシリーズ化され、樋口一葉の『たけくらべ』や、小川未明の『赤い蝋燭と人魚』など若い世代に届けたい絵本として、ちひろは意欲的に取り組みました。

いわさきちひろ  墓地に腰をおろす道化『絵のない絵本』(童心社)より 1966年

絵で展開する絵本

「絵本でなければできないことをしよう」と呼びかけた至光社の編集者・武市八十雄氏とともに、ちひろは実験的な絵本づくりを始めます。1968年の『あめのひのおるすばん』を皮切りに、新たな試みを加えながら、年1冊のペースで計6冊の絵本が制作されました。説明的な描写をそぎ落とし、にじみや余白を生かした絵と、つぶやきのような短いことばで、子どもの繊細な心をテーマに描いたこのシリーズは、「感じる絵本」とも呼ばれ、当時主流だった物語絵本とは異なる、新しい絵本の可能性を開きました。

いわさきちひろ 赤い毛糸帽の女の子 『ゆきのひのたんじょうび』(至光社)より 1972年

平和への祈り

ベトナム戦争が激しく戦われていたなか、1972年から73年にかけて、ちひろは戦火にさらされたベトナムの子どもたちに想いを馳せて、絵本『戦火のなかの子どもたち』の制作にあたります。自らも戦争体験を持つちひろにとって、かけがえのない命を奪う戦争は決して許すことのできないものでした。1974年8月8日、ベトナム戦争の終結を見ることなく、いわさきちひろは55年の生涯を閉じました。ちひろの願いは今もなお私たちの心に響きます。「世界中のこどもみんなに平和としあわせを」

いわさきちひろ 戦火のなかの少女  『戦火のなかの子どもたち』(岩崎書店)より 1972年

*展示室4では、ピエゾグラフ作品で展示します。

<展示関連イベント>

松本猛講演会「母、いわさきちひろ」
○日 時:11月26日(日) 15:00~16:30
○講 師:松本猛(ちひろ美術館常任顧問、絵本学会会長)
○定 員:60名   要申し込み10月26日(木)受付開始
○参加費:無料(別途入館料がかかります)

寺本美奈子講演会「印刷技術から見るちひろの歩み」
○日 時:12月10日(日) 15:00~16:30
○講 師:寺本美奈子(キュレーター、実践女子大学非常勤講師)
○定 員:60名   要申し込み11月10日(金)受付開始
○参加費:600円(別途入館料がかかります)

<定例のイベント>

ギャラリートーク
毎月第1・3土曜日 14:00~
会期中の開催日:11/18、12/2、12/16、2018.1/6、1/20