戦いがおわった日に
絵本の好きだった子は毎日絵を描いて遊んでいた。小学校は絵が上手な子で通った。女学校にはいっても絵がうまいとみんなにいわれた。女学校二年の三学期やっと母親は自分の子に絵の才能をみとめたか、岡田三郎助画伯の門をたたいてくれた。先生のアトリエに通って日夜デッサンにあけくれ、絵本のことはすっかりわすれた。油絵かきになるべく努力しはじめた。才能乏しくほとほと悲しくなって、戦争が激しくなるころにはもう絵のことは考えまいとした。
戦いがおわった日、心のどこかがぬくぬくと燃え、生きていく喜びがあふれだした。忘れていた幼い日の絵本の絵を思いだし、こどものころのように好きに絵を描きだした。いつのまにか童画家といわれ、日本童画会にはいった。武井武雄先生、初山滋先生方とはじめてお目にかかった日、あふれる感動で胸がいっぱいになった。ああこの先生方の絵で私は大きくなったのだ。私の心のなかには、幼い日見た絵本の絵がまだ生きつづけている。
今その絵を見たらどうなのか、また見たい気もするけれど、童画というものはふしぎなものでもう見なくても大丈夫なのだ。幼い日心にうけたその感動が、その人の成長につれてふくよかにより美しく成長し、心の糧になっている。童画を描いている私は、それがちょっとおそろしい気もするけれど、しあわせなことだとしみじみ思う。
いわさきちひろ 1968年
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