いわさきちひろ 緑の風のなかで 1973年

いわさきちひろ 緑の風のなかで 1973年

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ちひろ 心のふるさと 信州

ちひろが「心のふるさと」と親しんだ信州。
父親が長野県南安曇郡梓村(現・松本市梓川)、母親が松本市新橋の出身だったこともあり、ちひろも幼少のころから信州に足を運んでいました。戦中戦後は松本に疎開し、その後両親が住むようになった松川村にもたびたび足を運びました。画家として活躍するようになってからは、黒姫高原に山荘を構えて制作の場とし、都心を離れた生活を送る場所として信州との縁を深めていきます。本展では、アルバムの写真も交えながら、ちひろにとって信州がどのような場所であったかを紹介します。

ちひろの山行き

山好きの両親に育てられたちひろは、幼いときから北アルプスの山に登っていました。第六高等女学校での林間学校や、家族旅行でも山に通っています。
1951年に松本善明と結婚したちひろは、新婚の夫を白骨温泉や大町市にあった大町スキー場に誘っています。息子が生まれてからも雪山に足を運び、スケッチを重ねながら自らもスポーツを楽しみました。
雪やスキーをする子どもたちを描いた作品も多くみられます。「スキーをする子ども」もそのひとつです。(図1)

図1 いわさきちひろ スキーをする子ども 1973年

図1 いわさきちひろ スキーをする子ども 1973年

「ここは私の故郷」、松川村

松川村は、ちひろの両親が戦後開拓農民として入植した村です。
1952年、画業と子育ての両立が難しくなったちひろは、松川村の両親のもとに、生後間もないひとり息子・猛を預けていた期間がありました。
ちひろは次のように文章に残しています。

「ここは私の故郷
 年老いた貧しい両親が
 遠くはなれているその娘に、今年もまた
 ひとすじの希望をかけて住んでいる」

現在は安曇野ちひろ美術館が建つこの村は、信州のなかでも特に、ちひろにとって思い出深い土地であったでしょう。
風景を記録するように、ちひろは多くのスケッチを残しました。「神戸原のやぎ」(図2)には、野原で草をはむやぎの姿が描かれています。
やぎは松川村では親しみのある動物で、猛もやぎのお乳を飲んで育ったといいます。

図2 いわさきちひろ 神戸原のやぎ 1950年6月15日

図2 いわさきちひろ 神戸原のやぎ 1950年6月15日

信州で親しんだもの

ちひろの母方の祖母はそば打ちの名人であり、ちひろ自身もそばの食通だったようです。
敬愛する小林一茶の詩「信州は月と仏とおらがそば」を時折口にし、立ち食いそばを指して「あの、ゴムを食べているような感じはどうもそばというものとはちがうわね。」と話しました。
1951年からヒゲタ醤油の広告の仕事をしていたちひろは、そばを食べる少年少女をたびたび描いています。(図3)

図3 いわさきちひろ そばを食べるフリルスカートの女の子 1964年

図3 いわさきちひろ そばを食べるフリルスカートの女の子 1964年

りんごも、信州の味として欠かせないものでした。
ちひろは波田村(現松本市)のりんご園のデッサンを描いています。「信州のおばあちやまからおくられた りんごと柿」とメモが残された、東京の自宅で撮影された写真(図4)からは、東京にいても信州の味覚を日常に迎え、楽しんでいたことがうかがえます。

図4 東京 上井草の自宅 1957年(推定)

図4 東京 上井草の自宅 1957年(推定)

信州で描いた絵本

信州の風土を愛したちひろは、絵本にも信州の自然を取り入れました。
小谷温泉で描かれた『りゅうのめのなみだ』(1965年)(図5)のなかで、男の子が山に向かうシーンがあります。画面の右下、男の子の近くに木が描かれていますが、ちひろがスケッチをした「小谷温泉 枯れ木」(図6)にとても似通っていることが分かります。ほかのシーンでも、ノリウツギや倒木のスケッチが絵本づくりに活かされていることがわかります。

図5 いわさきちひろ 山に向かう男の子『りゅうのめ のなみだ』(偕成社)より1965年

図5 いわさきちひろ 山に向かう男の子『りゅうのめ
のなみだ』(偕成社)より1965年

図6 いわさきちひろ 小谷温泉 枯れ木 1965年8月

図6 いわさきちひろ 小谷温泉 枯れ木 1965年8月

『あかまんまとうげ』(1972年)(図7)では、物語のなかにすみれが登場します。
一度絵を描き上げたちひろは、出来上がりに満足ができず、次の春のすみれの季節を待って絵を描き直しました。そのときも信濃町黒姫にある山荘の近くで実際にすみれを見て絵を描いたといいます。普段から散策をする際には、スケッチブックを欠かさなかったちひろのこだわりが感じられます。

図7 いわさきちひろ わらびを持つ少女 『あ かまんまとうげ』(童心社)より 1972年

図7 いわさきちひろ わらびを持つ少女 『あ
かまんまとうげ』(童心社)より 1972年