ちひろのあゆみ | 社会の主な出来事 | |
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1967
昭和42年
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48歳
『わたしがちいさかったときに』(童心社)を描く。
夫・善明が衆議院議員となる。 『しらゆきひめ』(集英社)『りこうなおきさき』(講談社)『にんぎょひめ』『うらしまたろう』(ともに偕成社)を刊行。 |
6月、第三次中東戦争始まる。
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1968
昭和43年
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49歳
絵で展開する絵本を試みた最初の作品『あめのひのおるすばん』(至光社)を描く。
以後、至光社の武市八十雄とともに意欲的に絵本を制作する。 自伝的絵本『わたしのえほん』(みどり書房・現在は新日本出版社)を描く。 『はくちょうのみずうみ』(世界出版社)『あかいふうせん』『あかいくつ』(ともに偕成社)『愛かぎりなく‐デカブリストの妻抄』(童心社)を刊行。 |
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1969
昭和44年
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50歳
『おにたのぼうし』(ポプラ社)『あかちゃんのくるひ』(至光社)『花の童話集』(童心社)などを描く。
『ふたりのぶとうかい』(学習研究社)『あおいとり』(世界文化社)『鯉のいる村』(新日本出版社)を刊行。 |
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1970
昭和45年
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51歳
パステルで『となりにきたこ』(至光社)を描く。
現存するパステル画のほとんどは、この年に描く。 『あかちゃんのくるひ』(至光社)『おふろでちゃぷちゃぷ』『もしもしおでんわ』『万葉のうた』(ともに童心社)『にじのみずうみ』(偕成社)を刊行。 「ベトナムの子供を支援する会」主催の反戦野外展に出品。 前年脳血栓で倒れた母・文江を、下石神井の自宅にひきとる。 |
3月、日本万国博覧会開催。日航機よど号ハイジャック事件。
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1971
昭和46年
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52歳
『ことりのくるひ』(至光社)を描き、1973年ボローニャ国際児童図書展にてグラフィック賞を受賞。
この頃から十二指腸潰瘍をわずらう。 『あかちゃんのうた』『たけくらべ』(ともに童心社)『ゆきごんのおくりもの』(新日本出版社)を刊行。 |
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1972
昭和47年
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53歳
『ひさの星』(岩崎書店)『ゆきのひのたんじょうび』(至光社)などを描く。
夏、代々木病院に入院。 |
9月、日中国交正常化。
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1973
昭和48年
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54歳
3月、静養のためハワイ旅行。帰国後、『ぽちのきたうみ』(至光社)、 『戦火のなかの子どもたち』(岩崎書店。翌年ちひろの没後、ライプチヒ国際書籍展銅賞受賞)を描く。
雑誌「子どものしあわせ」(草土文化)の表紙絵をまとめた『こどものしあわせ画集』(岩崎書店)出版。 秋、ガンのため代々木病院に入院。小康を得て退院。 |
1月、ベトナム和平協定調印。
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1974
昭和49年
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55歳
3月、病状が悪化し、再入院。
6月、あかちゃんの絵を描き絶筆となる。 8月8日、肝臓ガンのため死去。 |
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