1945年8月6日に広島、9日には長崎に、原子爆弾が投下されました。投下から数年以内で、34万人以上の人が死亡したといわれます。また、放射能などの影響で、被爆した人々だけでなく、その子どもや孫までも、今なお苦しみ続けています。

この絵本は、広島で被爆した子どもたちが体験をつづった詩や作文に、ちひろが絵をつけたものです。 取材旅行で広島を訪れたちひろは、亡くなった人々を思い、一睡もできませんでした。

トマトと少女 『わたしがちいさかったときに』(童心社)より 1967年

この絵本には、死体や傷ついた子どもの姿ではなく、遊んでいる子どもたちや、防空ずきんにくるまれたあかちゃん、死んだあかちゃんを抱く盲目の母親など、その日、広島に生きていた母親や子どもの姿が描かれています。描きあげたあと、「戦争の悲惨さというのは子どもたちの手記を読めば十分すぎるほどわかります。私の役割は、どんなに可愛い子どもたちがその場におかれていたかを伝えることです。」 とちひろは語っています。

無題 小学5年 佐藤智子
よしこちゃんが
やけどで
ねていて
とまとが
たべたいというので
お母ちゃんが
かい出しに
いっている間に
よしこちゃんは
死んでいた
いもばっかしたべさせて
ころしちゃったねと
お母ちゃんは
ないた
わたしも
ないた
みんなも
ないた
『わたしがちいさかったときに』本文より 文・佐藤智子