ドロンコになって遊んでる子供の姿が描けなければ、ほんとうにリアルな絵ではないかも知れない。その点、私の描く子どもは、いつも、夢のようなあまさが、ただようのです。
実際、私には、どんなにどろだらけの子どもでも、ボロをまとっている子どもでも、夢をもった美しい子どもに、みえてしまうのです。
「子どものしあわせ」(草土文化)1963年3、4月合併号より
私もさわりたくてしょうがないんです。その辺に赤ちゃんなんかいると自分のひざの上に置いておきたい。
親はどうしてもさわらずにはいられないものじゃないかしら。私はさわって育てた。小さい子どもがきゅっとさわるでしょ。あの握力の強さはとてもうれしいですね。あんなぽちゃぽちゃの手からあの強さが出てくるんですから。そういう動きは、ただ観察してスケッチだけしていても描けない。ターッと走ってきてパタッと飛びついてくるでしょ。あの感じなんてすてきです。
「教育評論」(日本教職員組合)1972年11月号より
雪のなかで
雪のなかに はじめて おりたった日
こどもは そのひとみを 一ぱい見ひらいて
好奇心と感動で まばたきもできない。
ずーっと前
庭のつつじが花をせいいっぱいつけたとき、
小さな手をさしのべて、その花をたたかずには
いられなかったふしぎな感動、
そしてまた
いなかの川べでおたまじゃくしのむれを
見つけた時の胸うつよろこび。
こどもは、はじめて知るこの世のふしぎに
いつも そのまあるいひとみを輝かす
いま
雪はひひとして彼女の頬やまつげを打つけれど
この白い世界に、この子はもう一生忘れることのできない
美しい夢をもちつづけることだろう
「新潟日報」1973年1月9日より
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