カーテンにかくれる少女「あめのひのおるすばん」(至光社)より 1968年

座談会 いわさきちひろの世界

それから岩崎さんで思い出すのは、絵本の制作を、毎年いつも三月か四月か五月に、十日間、私と編集者と岩崎さんとで、全く東京を離れて、遮断しちゃって、そしてしかも岩崎さんはそれを楽しみにしていらっしゃるので、毎年逆に、いつ行くかいつ行くかと催促がかかるわけですね。ところが私のあれでは武市八十雄・案になっているんですが、案というのを私がやらなければならないんです。その案というのは、要するに文章と絵を支えるような、言うに言えないものをなにか、しかもそのひと言を聞いたら、絵描きさんがもう全部わかったという気持ちになれるだけのものをなにか持っていかなければならないんです。一週間のばし、二週間のばしにするわけです。そうすると岩崎さんは「出版社と絵描きさんとあべこべじゃないの、催促が」なんていうくらいですけれど、やっと日を決めて、いっしょに画材などを積んでいくわけですね。

私がたいがい車を運転していったんですが、熱海ホテルをいつも使ったんですが、小田原を過ぎるころまで私はいつも案がまとまらない、どうしても。岩崎さんは遠足に行くみたいで、とくかくあたしは気楽よ、と言うんです。あなたが出したもので、パッと感じたら飛びつくだけだから、感じなければ飛びつかないのだから。さあ弱った、もうギリギリにきて、小田原過ぎるころに、やっと運転しながら、いや、実はいまこんなことを思っているんだけれどといってできたものが『あめのひのおるすばん』であり『あかちゃんのくるひ』。

もう一つ岩崎先生としたお仕事では、一つのものさしになっているのは、引き算をやろうということ、これは十年前に私が海外に出て、さんざんうちの絵本だけじゃなく、日本の絵本全体について忌僤のない向こうの意見を、かなり向こうの編集者たち、画家たち、ライターたちというようないろんな人から聞いたんですけれども、つまり足し算じゃないかということを言われたんです、日本の絵本は。簡単に言えば。悪いとは言わないんです。引き算の感覚が全然ないと。私はちょうどそのころ禅にこっていたものですから、禅の絵の世界では、絵というものは、破墨、それから捨業、捨てる業、捨てることにある。

それが非常に岩崎さんと二人、ピンときたもので、ギリギリまで捨てていこうと言ったんです。それで引き算の絵本がこの四冊ぐらいなんですね。『ゆきのひのたんじょうび』あたりから、今度は掛け算を狙っていこうと、われわれの間ではそう言ったんです。引き算はこれでだいたいめどがついてきたので、今度は引き算だけではしょうがないので、マイナスとマイナスを掛ければプラスになるじゃないかといって、冗談ですけどもね、それプラス掛け算がなくちゃいけない。いちおういままでの『あめのひのおるすばん』から四冊くらいは引き算です。

「月刊絵本」11月号(すばる書房盛光社)1974年より