2025年は日本の第二次世界大戦の敗戦から80年にあたります。いわさきちひろたち戦争を経験した画家は、二度と戦争を繰り返してはならない、子どもたちにしあわせであってほしいという切実な思いを絵本に込めました。その思いは次の世代、さらにその次の世代の絵本のつくり手たちにも受け継がれ、子どもたちの心にたくさんの平和の種をまいてきました。
本展では、ちひろや世界の絵本画家たちが、平和への思いを込めて描いた絵本や、戦争を描いた絵本を展示します。世界ではこの80年の間にも、戦火が絶えることはありませんでした。今もウクライナや中東など、世界各地で戦争や紛争が続き、子どもたちに深刻な影響を与えています。第二次世界大戦後、もっとも多くの紛争が発生しているといわれるいま、絵本を通して、さまざまな角度から平和について考えます。
戦争を経験した画家たち
1931年の満州事変から、日本は15年に及ぶ戦争の時代へと突き進んでいきました。1937年に日中戦争、1941年には太平洋戦争へと戦争が拡大していくなかで、戦時統制は子どもの本にも及び、絵本は子どもたちの戦意高揚に利用されました。子どもたちは兵隊や戦闘機を絵本で見て憧れ、国のために命を捧げることが正しいと教えられました。
敗戦国となった日本では、軍国主義から民主主義へと価値観が一変するとともに、二度と戦争を繰り返さない平和な国をつくることが切実に望まれました。子どもの本のつくり手たちも、平和と子どもたちのしあわせを心から願い、新しい時代にふさわしい絵本を模索し始めます。展覧会の最初には、それぞれの戦争体験を経て、戦後の日本の子どもの本で活躍した画家たちの作品を紹介します。

茂田井武 おめでとう 1956年
戦争を描いた絵本
日本で戦争をテーマにした絵本が増えていくのは、1970年代以後のことでした。絵本の文化が成熟していくなかで、読者を子どもだけに限定せず、より多様な表現ができるメディアと捉えるようになってきたことも、戦争の絵本が増えた背景にはあるのでしょう。近年その数は海外の絵本の翻訳出版も含めて増え続け、日本でこの80年の間に出版された「戦争を描いた絵本」は600冊を超えています。
過去の戦争でなにがあったのか。なぜ戦争が起きるのか。戦争を起こさないために私たちになにができるのか。――展示室1では戦争を描いた4冊の絵本を通して、絵本が伝える戦争を見ていきます。

西村繁男 『絵で読む広島の原爆』(福音館書店)より 1995年(個人蔵)*特別出品
絵本を平和のかけ橋に
絵本は国境を越えて、地域の文化や人の心を互いに理解し合うためのかけ橋にもなります。ちひろ美術館では1980年代後半から世界の絵本の原画のコレクションに本格的に取り組み、欧米だけでなく、日本ではあまり紹介されてこなかったアジアやラテンアメリカの画家たちの作品も収集し、紹介してきました。展示室2では、世界の絵本画家たちの作品を、画家たちのメッセージとともに紹介します。

フィールーゼ・ゴルモハンマディ(イラン)『暗い部屋の象』より 2000年
いわさきちひろが描く子どもたち
友だちと夢中になって遊んだり、身近な自然のなかに季節の移ろいを見つけたりと、なにげない日々のくらしのなかに、しあわせを感じるときがあるでしょう。ウクライナや中東などリアルな戦場の映像は、おだやかな日常が戦争によって無残にも簡単に破壊されることを伝えています。
「平和で、豊かで、美しく、可愛いものがほんとうに好きで、そういうものをこわしていこうとする力に限りない憤りを感じます。」と語ったちひろは、いきいきと遊ぶ子どもの絵にも平和への思いを込めました。展示室3では、初公開となる新収蔵品「こどものせかい」の原画2点を含む、夏から秋にかけての季節に遊ぶ子どもたちの作品を展示します。

いわさきちひろ 海辺のひまわりと少女と小犬 1973年
広島の原爆を語りつぐ―『1945年8月6日あさ8時15分、わたしは』
ちひろは1967年、広島で被爆した子どもたちの詩や手記に絵をつけた『わたしがちいさかったときに』(童心社)を発表します。ちひろは負傷した体や惨状を具体的に描写するのではなく、被爆後に広島に生きた子どもや家族の深い悲しみを鉛筆と薄墨で描きました。

いわさきちひろ 焼け跡を見つめる少年 『わたしがちいさかったときに』(童心社)より 1967年
被爆から80年、『わたしがちいさかったときに』を底本として、現代の子どもたちにも伝わりやすいようにと企画された新刊本『1945年8月6日あさ8時15分、わたしは』(童心社)が出版されました。原爆で一瞬にして日々のくらしや大切な人を奪われた子どもたちのことばと、ちひろの絵をとおして、平和への思いを未来へとつなぎます。

『1945年8月6日 あさ8時15分、わたしは』 言葉/原爆を体験した子どもたち 絵/いわさきちひろ 出版/童心社
平和とはなんだろう?
黒柳徹子(ちひろ美術館館長)は子どものころ経験した戦争について「あのときは、いつの間にか戦争が始まり、私たちの気づかないうちに、当たり前だった日常生活が失われていきました。」と語っています。
平和とはなんでしょうか。戦争を経験していない世代にとっては、平和とはなにか、すぐにはイメージしにくいかもしれません。
本展では「平和と戦争を考える絵本」150冊を選書し、閲覧できるよう展示室と図書室に配架しています。絵本には、子どもも大人もともに平和について考えるヒントがつまっています。お互いの違いを認め合いながら、多様な人たちがともに安心して生きられるように、身近なところから「平和」を考えてみませんか。

出品作家からのメッセージ
本展開催にあわせて出品作家から寄せられたメッセージの一部を紹介します。
ユゼフ・ヴィルコン(ポーランド 1930-)

ユゼフ・ヴィルコン『すきすきだいすき ブルーノのプロポーズ』(セーラー出版)より 1991年
戦争が始まったとき、私は9歳だった。
1939年9月1日。ドイツがポーランドに侵攻した。その数日後、ヴィエリチカに爆弾が何発か落とされた。私のボグチツァの家の窓からその爆弾が炸裂するのが見えた。幸いにも、操縦手が的を外し、爆弾は町の外で爆発した。そこは私が通っていた学校から約1㎞の場所だった。
9月の末、ワンツトに国境を越えてやってくる最初のドイツ兵たちを見た。両親と子ども3人の私たち家族は、そのとき祖父の家にいた。多くのポーランド人がそうしたように、私たちは東へ、ドイツ兵から逃げた。
こうしてドイツの占領が始まった。
父はしばらくして、地下抵抗組織に加わった。兄はパルチザンの仲間に入った。9歳の少年だった私も、抵抗組織に連絡係として参加した。同時に、母が家を切り盛りするのを手伝った。
占領期の最も衝撃的な体験は、ドイツ兵がポーランドに住むユダヤ人の大量殺戮を始めたことだった。ユダヤ人を助けたり隠したりすることは死刑を意味した。私の家族はユダヤ人を隠す手助けをした。私たちは幸運だった。何度かまさに数分の差で、死と隣り合わせになった。
こうした衝撃的な出来事にも関わらず、私たちは戦争を生き抜いた。戦争のトラウマや消えない傷を負うことはなかった。今、当時の記憶をさかのぼると、同時に私はすばらしい子ども時代を過ごしたことにも気づくのだ。同世代の仲間たちとの遊びや自然との触れ合い。小学校の先生は初めての静物画を描くための手ほどきをしてくれた。当時から画家になることを夢見ていたが、まだ先のことはわからなかった。後に日本で展覧会を開催し、たくさんの絵本を出版し、私の絵が美術館に収蔵される日が来るとは、そこで多くの人と出会い、友情をはぐくむとは、どうして想像できただろう?
ユーリー・ノルシュテイン(ロシア 1941-)

ユーリー・ノルシュテイン&フランチェスカ・ヤールブソワ『きつねとうさぎ:ロシアの昔話』(福音館書店)より 2003年
何千年にもわたり、芸術による創造は、戦争による破壊とは対極のものでした。戦争は、他人の土地や命を貪欲に奪う手段です。
芸術は、存在の普遍的なドラマ、その喜びと幸福を、血を流すことなく表現したものです。おとぎ話は人生の師です。生きて、考えて、苦しむ人々のために、芸術は道を開きます。民謡、童謡、神話、玩具、民間儀式、偉大な芸術家の作品、歌舞伎、チェーホフ、シェイクスピア、セルヴァンテス、芭蕉(3行でなんと多くの意味を持たせることか!)など、人が創造したすべてのものに生命が宿っています。
(中略)ちひろの作品には、世界が私たちに与えてくれるあらゆるものが息づいています――太陽の光、海や雨の音、子どもたちの遊ぶ声、動物への愛情、親しみのある歌、いのちの神秘をのぞくこと。
フランチェスカと私は、戦争をテーマとした映画を一本だけつくっています。『話の話』です。同時にこの映画は人生から欠けると平和でなくなってしまうものについても語っています。それはシンプルで、助け合いの気持ち、旅人が歩く道、食卓につく家族、食事への招待、木、葉のざわめき、沈む太陽、日々の仕事――。しかし、私たちの日々の暮らしの本当の意味を見つけるのはなんと難しいことか。
思想家の安藤昌益*は、封建的な社会を反自然的な「法世」とみなし、法世を自然の世に高めるために、すべての人が労働に携わるべきだと語っています。こうも語っています。「人は上も下も無く、貪り取るものも取られるものもなければ、恨み争うこともない。これが自然の世の有りようだ。」
共に働こうではありませんか!
*安藤昌益(1703~1762年)江戸時代中期の日本の医者、思想家。
クラウディア・レニャッツィ(アルゼンチン 1956-)

クラウディア・レニャッツィ『わたしの家』より 2001年
困難な今の時代、世界に届けたい平和のメッセージは、想像力に富んだ芸術性の高い本や物語を子どもたちに手渡そう、ということです。人を愛し、異なる人たちへの攻撃や差別をしない子どもを育てるために。平和を愛する心を育んだ子どもは、大人になっても平和を望みます。私の絵本は、想像力があれば、夢のような旅ができることを伝えています。
私は子どもたちがデジタルの画面を見る時間を減らし、本を読んだり絵を描いたり、物語をつくったり、友だちとあそぶ時間を増やしてほしいと望んでいます。それが、よりよい将来を開く唯一の道だと思います。
アンドレア・ペトルリック・フセイノヴィッチ(クロアチア 1966-)

アンドレア・ペトルリック・フセイノヴィッチ『いつか空のうえで』(小学館)より 2001年
戦争。私は戦争が大嫌い。そして子どもたちや、あらゆる人々の苦しみも。
私は自分の国で起きた1991年から1995年の独立戦争を覚えています。家を捨てて長い列に並ばなければならなかった、怯えて混乱した人々の光景。足の不自由なお年寄りが目に涙をため、長い人生を過ごしてきた家を後にしなければなりませんでした。そして知らない土地へいかなければならなかったのです。くまのぬいぐるみをやっと持ち出し、泣いている子どもたち。スーツケースには、それを運ぶ人々の一生が詰まっていました。叫び声、恐怖、泣き声。
ヴコヴァルはクロアチアの苦しみと、暴力への抵抗の象徴となった町です。町は1991年の11月18日に陥落しました。そのとき大きな心の痛みを感じました。亡くなった多くの方々への心の痛み、そして私も知っている、愛する人たちを失った方々の心の痛み。私も10歳のときに母を亡くしているからです。そして、子どもたちの苦しみに非常に心が痛みます。戦争と憎しみは、私には理解できません。
私のすべての絵本は、子どもたちに関わる問題を扱っています。(中略)『いつか空のうえで』は私自身についての絵本です。母を失った小さい女の子のお話。女の子は母親とのあらゆる楽しかった時間を覚えています。(中略)
私は幼かったとき、自分の描いた世界に住んでいました。大人になって、現実の世界は絵のなかの世界とは違うことに気づきました。だから私はずっと描き続けようと決めました。
私の望みは、自分が絵に描くような、戦争も、悲しみも、孤独もない、幸せと愛に満ちた、子どもたちが幸せに暮らせる世界に住みたいということです。(中略)私は自分の人生を、子どものための芸術に捧げます。
ウェン・シュウ(コスタリカ 1976-)

ウェン・シュウ『ナディとシャオラン』より 2008年
今日ほど、多様性が不可欠で貴重だと痛感する時代はないように思います。
皮肉にも、この急速なグローバル化の時代は、より多くの分断をもたらしています。多くの人々が混乱し、ときには恐れさえ感じています。そして、私たち人間は孤立しがちで、自分たちと異なる人々を「よそ者」と見なしてしまいます。
自分自身や、身近な人、そして世界の人々を知ることは、だれもが愛とコミュニティを必要とする点で、驚くほどよく似ていることに気づくための第一歩です。それぞれの違いから学ぶこともたくさんあります。自分とは異なる新しい友人をつくることで、探求し、魅了され、学び、そして恋に落ち、豊かな思考と感情の世界へ繋がることができるのです。
生きる喜びにあふれた機会をとらえ、歩みを緩め、心を開いて、周りのすべての人と、つかの間の出来事に感謝しましょう。
ボロルマー・バーサンスレン(モンゴル 1982-)

ボロルマー・バーサンスレン『ぼくのうちはゲル』(石風社)より 2004年
一般に人はおだやかで平和な環境で暮らすことを願います。その願いがかなわないのは、社会、慣習、文化など取り巻く環境にも理由がありますが、そのなかでも大きな理由は、人の心にあるようです。現代の人びとは、あまりにも物やお金に執着しているように思います。
モンゴルの遊牧民の生活の特徴は、自然との共存です。遊牧民は、気候や草の生え方に応じて、一年に4回から10回も移動して暮らさなくてはなりません。そのため必要最低限のものだけを持って暮らしてきました。
モンゴル人には、「家畜を飼っていれば口がうるおう」ということわざがあります。遊牧民の家庭には、ゲル(移動式住居)、物入れ、バケツ、鍋など300 個くらいの持ち物しかありません。それらをほんの数時間のうちに荷にまとめ、新たな土地へと移動して暮らします。今でいうなら、自然を愛するミニマリストの暮らしといえるでしょう。
このような生活において、人々は平和でおだやかな暮らしを営んでいたようにみえます。ですが、今やモンゴル人の90%が定住生活をするようになり、物質的な豊かさに価値をおくようになりました。新しい家、車、流行のファッションや物、お金でいくら追い求めても、その欲望には終わりがありません。
でも、このところ、世界で再びミニマリストの生活に注目が集まってきているのはうれしいことです。ミニマリストの暮らしは、私たちの心に安らぎと平和をもたらしてくれると思います。
伊藤秀男(日本 1950-)

伊藤秀男『けんかのきもち』(ポプラ社)より 2001年
僕のおじさんはサイパンで戦死し、その弟のおじさんは、シベリアの収容所で病死した。おじさんたちが帰ってくるはずの家を妹の母がようやく養子を迎えて継ぎ、僕が生まれた。僕は上のおじさんと同じ名をもらった。一字変えて。「ヒデオがかえってきた」とおじいさんは喜んで隣近所に赤飯を配ったという。日本の戦後5年目の1950年の春の事であった。時折母がふいに語り出した戦争で死んだ二人のおじさんの話は、僕の心に深く残った。
nakaban(日本 1974-)

nakaban『ひとのなみだ』(童心社)より 2024年(個人蔵)*特別出品
ああ、ひとに涙があって良かった。ひとが涙を持たない心になってしまえば、その視界から色彩が失われる。
ひとは数字のために生きるようになり、ものごとの優劣の判断を簡単に考え、そのひとが知らないうちに、多くのひとの心を身体もろとも殺してしまうかもしれない。
だからそろそろ自分の内側の涙の水源を探す旅に出る時だ。その涙の一滴が美しくあって欲しいなんて願わなくていい。それは美しいものに決まっているのだから。
ちひろ美術館 平和を考える絵本150冊
第二次世界大戦後から今日までに出版された絵本には、世界の絵本画家たちの反戦と平和への願いが込められています。
本展の開催にあわせて、ちひろ美術館では、関連絵本リスト「ちひろ美術館 平和を考える絵本150冊」を制作し、公式サイトからダウンロードできるよう公開しています。
今も世界各地で戦争や紛争が続き、日本でも戦争への危機感が高まっています。この絵本リストが、子どもにとっても大人にとっても、平和や戦争について考えていただくきっかけになることを願っています。
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