初山滋 なんなん菜の花  1932年(個人蔵)

初山滋 「なんなん菜の花」  1932年(個人蔵)

-

没後50年 初山滋展 見果てぬ夢

初山滋(1897-1973)が75歳で亡くなってから、50年が経ちました。
明治生まれの初山は、まだ江戸の香りの色濃い東京の下町で育ちました。小学校を卒業してすぐに丁稚(でっち)奉公へだされ、模様画工房で着物の図案描きの修業をしますが、次第に絵を描きたい思いが募り、14歳のときに挿し絵画家・井川洗厓(せんがい)に弟子入りします。挿し絵の下絵描きをしながら、日本の古画などの模写に励む一方、印象派やアール・ヌーヴォー、キュビスム等、当時日本に一挙に紹介されたヨーロッパの新しい美術の潮流も感受ていきました。
初山は大正から昭和にかけての50年余りに渡り、“ 童画” の世界に欠かせない画家として、児童雑誌や絵本、童話集、教科書など、子どもの本に膨大な絵を描きました。体に染みついた江戸の装飾美に、モダンな感覚を巧みに融合させ、美意識の赴くまま自由な表現を展開したその絵は、今も新しさを失わず、みずみずしい感覚にあふれています。
本展では、初山滋の人生を追いながら、童画や絵本の原画、漫画などのほか、自刻自摺の木版画も展示します。

初山滋 「なんなん菜の花」  1932年(個人蔵)

初山滋 「なんなん菜の花」  1932年(個人蔵)

童画の誕生

大正時代は、大正デモクラシーと呼ばれる自由主義的な機運のなか、子どもの本の文化が花開いた時代でもありました。児童文芸誌「おとぎの世界」の創刊にあたり、21歳だった初山滋がメインの画家として登用されたのは、1919年のことでした。そのモダンで幻想的な絵は世間の注目を集め、以後、多くの雑誌や童謡集、童話集などの仕事がくるようになります。
1922年に創刊された「コドモノクニ」は、大判フルカラー印刷の本格的な絵雑誌でした。この絵雑誌には、児童雑誌の主筆として活躍していた画家たちが集って筆を振るうようになり、1924年には童話や童謡に対して“ 童画” ということばも生まれました。1927年8月号から「コドモノクニ」に登場するようになった初山は、同誌で活躍していた岡本帰一、清水良雄らとともに、この年「日本童画家協会」の結成に加わりました。新しい“ 童画” というジャンルを切り開こうと、純粋無垢な子どもの世界を求めて、初山は持てる力を注ぎ込んでいきます。

初山滋 はるのはこび 1962年(ちひろ美術館寄託)

初山滋 はるのはこび 1962年(ちひろ美術館寄託)

「私は絵とともに生き、絵の中に戯れて生きている。締切りの仕事に追われることはつらいけれども、絵を描いている私の心は、童心の世界を漫歩しているのだ」*と初山は語っています。子どもでいる時間の短かった初山にとって、童心は甘美な夢であり、憧れでもあったのかもしれません。

*初山滋「線」 「書窓」2巻4号(アオイ書房)1936 年

自刻自摺の木版画

1930年代後半、日増しに戦時色が濃くなっていくなかで、時局にあった絵を描けずに子どもの本の仕事が減った初山は、この時期から集中して自刻自摺の創作木版画の制作に取り組みます。藍玉や藍の着物からとった本藍を使ったり、彫りすすみの技法を好んで用いたりと、手間ひま惜しまない制作ぶりでした。木版画の私家本の制作も行い、東京の空襲がはじまっても疎開せず、没頭して版木を彫り続けたといいます。

初山滋 こども 1948年(ちひろ美術館寄託)

戦後は再び子どもの本の仕事が増えましたが、版画の制作は続けられました。子どもを対象とした童画とは異なり、自分好みの画題をより自由に表現できる版画で、初山は妖しく奇抜な発想や、モダンな造形を展開しています。

光と水と、虹と、鳥と

戦後、初山は童画を復興させようと「日本童画会」の結成に参加し、1946年に復刊した「キンダーブック」などの絵雑誌や、アンデルセン童話などの絵本に夢あふれる童画を描きました。
初山が得意としたのは、光や水、虹、軽やかにさえずる小鳥たち……。じっと留まるものではなく、きらめき揺らめくもの、移ろうもの、跳ね踊るものをこそ、初山は描きたかったのでしょう。

初山滋 かいのこどもたち 1966年(個人蔵)

1950年代以後は、印刷技術が描き版から写真製版へと進歩していくなかで、初山の表現がさらに繊細さを増しています。水彩の透明感を生かした重ね塗りや、にじみやぼかしを駆使したほか、絵の具が乾く前に塩を散らして塩の華で模様をつくったり、クレパスと併用してはじかせたり、絵の具を散らすスパッタリングや、霧状にして吹きつけるスプレーなどもみられ、考えられるさまざまな技法を駆使して、複雑で繊細なマチエールをつくり出しています。水や光を絵にするために、初山は新たな表現を求めて妥協することがありませんでした。
日本画の修行で培われた流麗な線を土台にしながら、日本の伝統的な絵画や西洋の美術を自分の美意識に従って吸収した初山の、きらめくような夢幻の世界をご覧ください。