茂田井武(日本)アクロバット 1932-33年頃
茂田井武(1908-1956)は1930年、21歳の春に世界放浪の旅に出ました。
目指したのは芸術の都・パリ。1920年代から30年代にかけて、パリには世界各地から芸術家たちが集い、独自の作品を生み出していました。
本展では当時パリに集った画家たちの作品ととともに、3年に渡る欧州滞在中に茂田井が描いた3冊の画帳や、後年旅の記憶をもとに描いた作品などを紹介します。
「汽車が巴里から遠ざかると共に 記憶の中にそれが溌溂と生きはじめた」
茂田井武 画帳「Parisの破片」より 1935年頃
第二次世界大戦後、子どもの本で活躍した画家・茂田井武。友人から「ボヘミアン」と呼ばれた茂田井の絵には純粋な魂が息づき、忘れかけていた懐かしい感覚を呼び覚まします。
1930年、21歳の茂田井は、単身パリへ渡ります。日中は給仕などをして働き、寝泊まりする安アパートに戻ると、記憶をもとにした絵を夜ごと画帳に描きためていきました。3年に渡る欧州放浪の旅で目にした各地の光景は、茂田井の心に深く刻まれ、その後も繰り返し画題となりました。
没後70年を記念した本展では、欧州滞在中の画帳「ton paris」「Paris の破片」「続・白い十字架」を中心に、パブロ・ピカソやモーリス・ユトリロ、マリー・ローランサン、藤田嗣治、板倉鼎ら当時のパリで活躍した画家たちの作品もあわせて紹介します。さらに、帰国後に制作された画帳やタブロー、絵本、エッセイなども展示し、茂田井の創作を支え続けた大切な旅の記憶を浮かび上がらせます。

(左)茂田井武 アクロバット 1932-33年頃/(右)茂田井武 画帳「Parisの破片」より 1930-35年頃
展覧会の見どころ
渡欧時の3冊の画帳を一堂に 「ton paris」「Paris の破片」「続・白い十字架」
1930年代のパリの街並みを瑞々しく描いた「ton paris」、異国の地での人間関係や私生活のようすが窺える「Paris の破片」、そしてスイス・ジュネーブ滞在の日々を描いた「続・白い十字架」。茂田井が欧州滞在中に描いた画帳のうち、現存する3冊を一堂に展示します。

(左)茂田井武 画帳「ton paris」より 1930-33年(大川美術館蔵)/(中)茂田井武 画帳「Parisの破片」より 1930-35年頃/(右)茂田井武 画帳「続・白い十字架」より 1931-35年
1920-30年代にパリに集った画家たち
ふたつの大戦に挟まれた 1920年代から1930年代にかけて、芸術の都・パリには多くの画家が集いました。本展では、マリー・ローランサンやパブロ・ピカソ、モーリス・ユトリロ、板倉鼎ら、茂田井と同時代にパリで活躍した画家たちの作品も紹介します。

マリー・ローランサン ブリジット・スールデルの肖像 1923年頃

モーリス・ユトリロ モンマルトル 1930年頃(大川美術館蔵)

板倉鼎 少女 1927年(大川美術館蔵)
欧州放浪の記憶
欧州を放浪した経験は、茂田井にとって貴重なイメージの源泉となり続けました。本展では、帰国後、旅の記憶を反芻するように制作された『古い旅の絵本』のほか、タブローや、エッセイなどを展示します。

茂田井武 デバルカデール町より見たルナパーク 1950年前後

茂田井武 『古い旅の絵本』より 1943-44年
世界の子どもたちへ
三人の子の父親だった茂田井は、戦後の混乱のなか、児童雑誌や絵本の制作に力を注ぎました。そこには、世界の子どもたちと地球全体のしあわせを願った茂田井の切実な思いが込められています。本展では、茂田井が幼い長女のために手づくりした絵本『巴里の子供』のほか、晩年に病をおして取り組んだ、絵雑誌「キンダーブック」の仕事に注目します。

茂田井武 手づくり絵本『巴里の子供』より 1946年

茂田井武 おめでとう 1956年

茂田井武 すてんどぐらす 1954年

茂田井武 『古い旅の絵本』より 1943-44年
・前期・後期で一部作品の入れ替えを行います。
・大川美術館所蔵作品以外は、すべてちひろ美術館蔵。
茂田井武 Takeshi Motai
1908~1956
東京に生まれる。日本橋の旅館であった生家が1923年関東大震災で全焼する。中学卒業後、太平洋画会研究所、川端画学校などで絵を学び、アテネ・フランセに通う。1930年シベリア鉄道で渡仏、1933年に帰国。職を転々とした後、探偵小説雑誌「新青年」などに挿し絵を描き、1941年から絵本を手がける。1946年日本童画会入会。戦後日本の復興期に絵本、絵雑誌などの仕事で活躍する。1954年小学館絵画賞受賞。48歳で亡くなるまで、病床で絵を描き続けた。主な絵本に『セロひきのゴーシュ』(1956)などがある。
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