『でんしゃえほん』井上洋介 2000年
奇想天外な発想が炸裂する独創的な世界を描いた絵本画家・井上洋介が、2016年2月、惜しまれつつ84歳で亡くなりました。「その時代、その空間にある材料を使って、表現したいものを表現するのが芸術」と語っていた井上は、鬼気迫る描写に愛嬌と哀愁、ナンセンスを同居させた独自の画風で、絵本、漫画、広告、舞台美術など、多彩な分野で活躍しました。本展では、各年代の代表的な絵本原画を中心に、生涯描き続けたタブローやスケッチなども展示し、井上洋介の画業を紹介します。
『くまの子ウーフ』
1960年に「こどものとも」シリーズとして出版した絵本『おだんごぱん』を機に、井上は絵本画家としての活動を始めます。
1969年には、代表作の一つともいえる『くまの子ウーフ』(文・神沢利子)の絵を手がけることになります。遊ぶこと、食べること、考えることが好きで、いつも好奇心いっぱいのウーフは、むっくりとした体型につぶらな瞳の愛らしい姿で描かれています。文章を読みながら描き進めていたため、当初は裸の熊を描いていたところ、途中で「かにをポケットにいれて」と書いてあり、慌ててズボンを描き足したといいます。その際、半ズボンではなく「吊りズボンがいいな」と思ったことから、裸に吊りズボンをはいたウーフが誕生しました。
井上は「ウーフのように自分に共感できるような文章だと踊るようにして描ける」と語っています。この作品はシリーズ化され、今も広く読み継がれています。
『ちょうつがいの絵本』
1976年からは、絵と文の両方を手がけた自作絵本の制作を始めます。靴、穴ボコ、帽子、卵、箱……、井上は日常のなかで見つけた“気になるもの”をもとに無限にイメージを膨張させ、独自のナンセンスの世界を展開しています。
自作絵本の2作目『ちょうつがいの絵本』では、頁をめくる度に、二人掛けの椅子の間やダックスフントの長い胴、カタツムリの貝のつなぎ目など、普通ではあり得ないところに次々と蝶番が登場します。
意識されることのない蝶番という存在が内包する、底知れぬ可笑しみを見出す視点と感性が、独創的な発想の根源となっていることがわかります。
『まがれば まがりみち』
井上の作品世界のもととなっているものの一つに、散歩(下町歩き)があります。
昭和60年代に、浅草や根津、京島、向島などの地を歩き続けるなかで、「いろんな面白いものに出会う」と語っています。歩くのは画家が「逢魔が時」と表現する夕暮れ。ある日の散歩中、戦後に建てたバラックの家の電気が突然点いて、窓ガラスに大きな人の頭の影が映し出される瞬間に遭遇した井上は、「何だかおれの絵みたいだな」と思ったといいます。
「日暮れの町の曲がり道 何が出るのか曲がり道」のフレーズが続くこの絵本も散歩から生まれました。現実の風景と画家特有のナンセンスの世界の融合が結実した一冊となっています。
『でんしゃえほん』
ドーナツ電車や1人乗りのぜいたくな電車、脱皮する電車、蛇腹の電車……、この絵本には、ユーモアあふれる電車の数々が登場します。電車は井上の好きなモチーフのひとつでした。自宅近くを走る京成電車に乗って散歩に出かけたり、駅や電車の沿線をスケッチしたりもしています。電車を描き続けた理由について、「ひとつには群像が描けるってことね。で、行列と同じように人間が詰まっている状態でしょ。(中略)電車ものはキリがなく続いていくし、キリがないところが面白いですね。行列と同じで、永遠といくらでも続いていくから」と語っています。
行列をなす人々について、粗末な靴で必死に行進する学徒兵やバケツを手に並ぶ隣組の防空訓練を思い出すと記していました。少年時代に戦争を体験した井上は、空襲で焼け出された人々が、呆然として繋がってあるいていく行列を目撃したともいいます。井上が描き出すすべての作品には、戦災の記憶が内在していますが、直接的に描くのではなく、特有のユーモアを交えたナンセンス絵本として表現しています。そこには、「ナンセンスって、笑いでもあるし、風刺でもある。笑いがないと人間の呼吸が伝わらない」という画家の信念を見ることができます。
このほか、子どもを残して死んだ母親の妖怪を描いた『うぶめ』(文・京極夏彦)なども展示します。
戦争の記憶
小さころから絵が好きだった井上は、画家志望だった亡き兄が遺した油絵の具を使い、小学校五年生から絵を描き始めました。
井上は「俺の肩書は、絵描き。描くことが好きでたまらない」と語り、油彩や水彩、墨、鉛筆、インクなど、多様な画材を使って生涯タブローを描き続けました。自宅には、今も500点を超える作品が遺されています。
空襲の焼け跡、爆弾の穴、飢えた人々・・・。すべての作品の根底には、少年時代に体験した爆弾の恐怖や飢餓の記憶があると井上は語っています。
展示室2では、脳裏に焼き付く戦争の惨禍を掘り起こしながら描いたタブローの数々を展示します。
一見激しくグロテスクな表現で不条理な世界を描きながらも、どこかに笑いを潜ませた井上は、漫画と絵本とタブローと異なるジャンルを自由に行き来しながら、自分の絵を求め続けました。
常に時代を見据え、人間の本質を描き出した井上洋介の世界をご覧ください。
1931年東京赤坂に生まれる。武蔵野美術学校(現・武蔵野美術大学)卒業。大学在学中から新聞や雑誌に漫画の投稿を始め、1951年に独立漫画派に参加。1955年第7回読売アンデパンダン展に初出品。以後、日本アンデパンダン展等に出品を重ねる。1965年第11回文藝春秋漫画賞、1969年第4回東京イラストレーターズ・クラブ賞、1988年『ぶんぶくちゃがま』で第37回小学館絵画賞、1994年『月夜のじどうしゃ』で第25回講談社出版文化賞絵画賞、2001年『でんしゃえほん』で第6回日本絵本賞大賞、2013年『ぼうし』で第3回JBBY賞などを受賞。井上洋介 Yosuke Inoue
<関連新刊書籍>
『井上洋介絵本画集1931-2016』(玉川大学出版部)A4版 定価:本体2,000円(税別)
『井上洋介獨画集 1931-2016』(玉川大学出版部)A4版 定価:本体13,000円(税別)
<展示関連イベント>
対談 片山健(絵本作家)×土井章史(編集者)「井上洋介を語る」
○日 時:9月24日(日) 15:00~16:30
○定 員:60名 要申し込み8月24日(木)受付開始
○参加費:1200円
<定例のイベント>
松本猛ギャラリートーク
ちひろの息子である松本猛が、作品にまつわるエピソードなどをお話しします。
○日 時:9月3日(日)14:00~
○講 師:松本猛(絵本学会会長・ちひろ美術館常任顧問)
○参加自由、無料
ギャラリートーク
毎月第1・3土曜日 14:00~
会期中の開催日:9/2、9/16、10/7、10/21、11/4
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