茂田井武 絵物語「夢の絵本」より 1948年

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【開館40周年記念 Ⅱ】<企画展>

奈良美智がつくる 茂田井武展 夢の旅人

茂田井武 画帳「parisの破片」より 1930年頃-35年頃

戦後の混乱期の子どもの本におびただしい数の絵を描きながら、日本の絵本の隆盛期を待たずに早逝した茂田井武。その画業は大切に語り継がれ、後に続く多くの画家たちに影響を与えてきました。
茂田井が亡くなった3年後に生まれ、今まさに現代美術のアーティストとして世界的に活躍する奈良美智も、茂田井の絵に心ひかれるひとりです。
茂田井の絵との出会いを奈良は次のように語っています。

「美術を志したのは、17歳のときだった。田舎に育ったので、世界の有名な絵や彫刻はまったく知らなかった。自分はなにを見てこういう道に進もうと思ったのかと振り返ったときに、子どものころに見ていた絵本という存在が、すごく大きかったことに気がついた。そうして昔見た絵本を確かめていくなかで、再発見した人が茂田井武だった。」

本展では、奈良美智が今も「新しい」と感じる茂田井武の作品を選び、展覧会を構成します。「人に見せるための絵よりも、自分との対話のなかで生まれる絵にひかれる」という奈良は、20代の欧州放浪中に描かれた画帳や戦時中の日記、夢から生まれた絵物語、子どもの落書きのある絵など、折々の茂田井の内面が色濃く表れた作品を選んでいます。奈良美智の視点から、新たな茂田井武の魅力が開かれます。

茂田井武「退屈画帳」より 1937-40年頃

茂田井武「幼年画集」より 1946-47年

茂田井武「幼年画集」より 1946-47年

絵の奥を見ること

奈良は1000点を超える収蔵作品のひとつひとつにあたって、初期から晩年までの幅広い年代の作品を選び、展覧会を構成しました。
20代前半に世界放浪の旅の印象を描きとめた画帳『parisの破片』や『続・白い十字架』。探偵小説雑誌に挿し絵を描いていたころの怪しい詩情漂う画帳『退屈画帳』。戦後復員して間もない時期に幼少時の記憶をもとに描いた画帳『幼年画集』。子どもたちと過ごした時間を凝縮した「父と子のノート」。子どもの本の仕事の数々……。茂田井の絵はそのときどきの彼自身を色濃く投影し、画風を大きく転換していきます。
最晩年の名作絵本『セロひきのゴーシュ』(宮沢賢治・文)が広く知られていますが、奈良はその奥にこれだけの絵があることを見せたかったといいます。

「表面に見えているものだけでなく、奥深いものを見せたい。なにが描かれているかだけでなく、どう描かれているか。色がどう重なり、どうしてこういう形になっていったか……。ことばだけでは言い表せないものが、絵で表されている。茂田井さんの絵は、大人になっていろいろなものがみえてくるなかで、よさのわかる絵だと思う。」(奈良美智)

茂田井武『セロひきのゴーシュ』(福音館書店)より1956年

若いときに旅すること

1930年、21歳だった茂田井は、写生旅行と称して鞄一つで東京を発ち、働いて旅費を稼ぎ、ぶらりと途中下車もしながら、シベリア鉄道でパリへと向かいました。パリでは食堂で皿洗いや給仕をして働き、夜毎、心に留まった光景や人物、夢の断片を絵日記風に画帳に描きとめました。3年に及ぶこの放浪の旅の間に目にした世界各地の光景は、その後も繰り返し画題となっています。

茂田井武
画帳「続・白い十字架」より 1931-35年頃

茂田井武 アクロバット1932-1933年頃

「若いときに世界を旅した茂田井さんは、発表されるとは想像もしないで、どんどん絵を描き貯めていった。若いときにする旅は、自分の感性を何倍にもしてくれる。僕が初めて海外に出たのは20歳のときで、一人でヨーロッパからパキスタンにまで行った。茂田井さんの絵を見ていると、その時のいろいろなことが思い出される。旅をしたのは同じくらいの年齢だし、絵を描く者どうし、そのときのかんじがよくわかる。
人種や民族が違うと、大人はやはり距離を置いて接するが、子どもたちはなんの差別もなく寄ってくる。茂田井さんは絵本を描くようになって、子どもたちのことを思って絵を描くようになるが、その思いは日本の子どもだけでなく、全世界の子どもたちにまで広がっている。そういう心は、旅を通して芽生えたのではないだろうか。いろいろなところを旅した経験が、結果として茂田井さんの絵になっていった。つまり遠回りしているのだけど、それは有意義な遠回りなんだ。」(奈良美智)

茂田井武 絵物語「宝船」五 1939年

茂田井武 絵物語「夢の絵本」より 1948年

自分との対話から生まれる絵

出品作を選びながら、奈良は次のように語っていました。
「今見て、古く見える絵と、新しく見える絵がある。見せるための絵じゃないもののほうが、古びない。“見せるための絵じゃない”というのは、力量が読者側にあるか、自分との対話であるか、ということだ。」
描かずにはいられない切実なものを自分の内に抱いて、それを追い求めながら絵を描く。そのように描いた絵が、人の心の奥深くに響く――。それは茂田井と奈良とに相通じる資質でしょう。

茂田井武 クマ、ジープ、デンシャ、ハネ 1949年

茂田井武の絵と、奈良美智の感性が響き合う、特別な展覧会をご覧ください。

茂田井 武

Takeshi Motai 1908~1956

東京日本橋に生まれる。1923年生家の旅館が関東大震災で全焼する。中学卒業後、太平洋画会研究所、川端画学校などで絵を学び、アテネ・フランセに通う。1930年シベリア鉄道で渡仏、パリの日本人会で働きながら独学で絵を描き、日々の生活を画帳に描きとめた。1933 年に帰国。職を転々とした後、成人向け雑誌「新青年」などに挿し絵を描き、1941 年から絵本を手がける。1946 年日本童画会入会。戦後日本の復興期に絵本、絵雑誌などの仕事で活躍する。1954年小学館絵画賞受賞。48歳で亡くなるまで、病床で絵を描き続けた。

奈良 美智

Yoshitomo Nara 1959~

青森県生まれ。1988年、愛知県立芸術大学大学院修了の翌年にドイツに渡り、国立デュッセルドルフ芸術アカデミー修了。その後も、99年までドイツに滞在して制作と活動を行う。2000年に帰国後、日本を拠点に世界中で展覧会を開催する。2001年と2012年に横浜美術館で大規模個展、また2010年にはAsia Society Museum(ニューヨーク)、2015年にはAsia Society Hong Kong Center(香港)にて個展を開催した。絵画を中心にドローイングや彫刻など幅広い表現で、国や文化背景を超えた人々と共振し支持を得る。

開館40周年・20周年イベント

開館40周年・20周年記念対談
高畑勲(アニメーション映画監督)×奈良美智(美術作家)

いわさきちひろ展と茂田井武展をつくるふたりが、当館の開館40周年、安曇野ちひろ美術館の開館20周年を記念して、夢の対談を行います。
日 時:8月30日(水)19:00~20:30(予定)
会 場:紀伊国屋サザンシアター
チケット発売開始:7月初旬(予定)

展覧会カタログのご紹介

展示している茂田井武作品や奈良美智のことばを収録した展覧会カタログを発行しました。
書店では購入できない部数限定の図録です。
ちひろ美術館・東京のショップ店頭および郵送にて販売中です。
詳細はちひろ美術館・東京ブログをご覧ください。