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生誕120年『てぶくろ』の画家
ラチョフと民話絵本の世界

わたしは動物の絵をかくのが大好きです。
わたしは動物に洋服を着せたり、ステッキを持たせたりと、人間のような性格を与えています。各々の動物に人間的なイメージを重ねて見るのが好きだからです。キツネにはずる賢さ、クマには人の良さなど……。そうした想像をしながら絵をかくと、楽しくて楽しくて時のたつのを忘れてしまいます。

エフゲーニー・ラチョフ 1990年(84歳)
『ねことつぐみとおんどり』(宮川やすえ 訳/学習研究所(学研)、1990年)あとがきより

エフゲーニー・ラチョフ 『てぶくろ』(福音館書店)より 1950年

ウクライナ民話絵本『てぶくろ』で知られるエフゲーニー・ラチョフ(1906-1997)は、動物民話の描き手として活躍した画家でした。生誕120年を記念して、『てぶくろ』の原画を含む、ラチョフの全コレクション作品32点を展示し、その魅力に迫ります。

ラチョフが生きたのは、ふたつの世界大戦と革命、世界初の社会主義国家の誕生と崩壊という激動の時代でした。本展では、ちひろ美術館コレクションのなかから、ラチョフと同時代を生き、伝統的な民衆芸術の様式を民話絵本にいきいきと描き出したマーヴリナ(図1)や、スターリンの独裁が終わり厳しい検閲が解かれた60年代に自由でのびやかな表現で活躍したミトゥーリッチやドゥヴィードフらの作品もあわせて展示します。

図1 タチヤーナ・マーヴリナ 狼に乗って空を飛ぶイワン王子 1970年(推定)

困難な時代のなかでも、画家たちは自身の表現の道を模索し、子どもたちに豊かな文化をと願いました。今なお色あせない魅力を放つ東スラブの民話の世界をお楽しみください。

動物画家から動物民話の描き手へ

1906年、ロシアのトムスクに生まれたラチョフは、第一次世界大戦で早くに父を亡くすと、手つかずの自然が残されたシベリアの祖母のもとで、野生動物に親しみながら幼少期を過ごしました。
1929年、23歳のラチョフは、キーウの出版社で駆け出しの画家として働き始めます。この時期、旧ソ連では絵本の文化が隆盛を迎え、革新的で優れた絵本が次々に生み出されていました。子どもにこそ妥協なく真の芸術をとつくられた絵本にラチョフは魅了されました。さらにこのころ、ラチョフは編集者から、子どもの本の絵を描くときに大切なふたつのことを教わります。第一に「小さな読者を理解し愛情をもつこと」、第二に「絵をつける文学作品を尊重すること」。当初は模索しながらさまざまなジャンルの絵を描いていたラチョフですが、次第に動物のテーマに集中していきます。
ラチョフの代名詞ともいえる服を着た動物が初めて登場したのは、1947年刊行の民話集でした。このときラチョフは、従来とは違う描き方をする必要があると強く感じたといいます。民話の動物は単なる動物ではなく、人間関係や人間の性格を暗示・強調する存在と考え、それを表現するために動物たちに民族衣装を着せるというアイデアを思いついたのです。既に動物画家の地位を確立させていたラチョフの新しいアイデアに編集部は驚き反対しましたが、ラチョフは頑として修正を受け入れず、7ヵ月間の検討のすえ、ようやく出版が決まりました。
ずる賢いきつねの娘や獰猛だけれど愚かなおおかみなど、ロシア民話に登場する動物のイメージは、口伝えで語られるなかで広く共有されたものでした。ラチョフはこうしたイメージをふくらませ、ロシアの民衆版画(ルボーク)などの要素を下地に、民話の動物たちの本質を子どもにも分かりやすい方法で表現することに努めていました。
以後、ロシア、ウクライナ、ベラルーシ、ハンガリー、ブルガリア、シベリアの少数民族などの動物民話や童話の挿し絵を次々に描いていきました(図2)。

図2 エフゲーニー・ラチョフ
ロシア民話「きつねとおおかみ」 1963年

代表作『てぶくろ』の魅力

絵本『てぶくろ』は、1951年にロシア語で刊行されると好評となり、多くの言語に翻訳されました。日本でも1965年の翻訳出版以来、子どもたちからの絶大な支持を得ています。福音館書店の編集者の松居直は、この絵本の魅力として、精緻で写実的なラチョフの絵に注目しました。「わたしもいれて」と動物たちが入っていくと、手袋は大きく膨らみ、窓や煙突ができ、縫い目がほつれていきます(図3・4)。この細かな描写が、子どもに受け入れられる絵本のなかのリアリティなのだと松居は述べています。*1

図3 エフゲーニー・ラチョフ 『てぶくろ』(福音館書店)より 1950年

図4 エフゲーニー・ラチョフ 『てぶくろ』(福音館書店)より 1950年

2022年、ロシアがウクライナへ軍事侵攻して以来、本作は、ウクライナという国を身近に感じられる絵本、本来相容れぬ性質の動物たちがいっしょに暮らす物語から、共生と平和を考えるきっかけとなる絵本として、再び注目を集めました。ロシアとウクライナ、ふたつの国に暮らし、度重なる戦争を経験したラチョフは、その生涯のほとんどを子どものための本に捧げました。ラチョフはこんなことばを遺しています。「幼い子どもたちが戦争の悲惨さや恐怖を知ることのないように望みます。……地球上の人間はみんなほほえむ権利があるんです。」*2

*1 「絵本を見る目」松居直 日本エディタースクール出版部 1978年
*2 ラチョフ論「絵本の魔術」松谷さやか 「日本児童文学」第23巻 1977年

 

展覧会の見どころ

①およそ 30 年ぶりの開催 ラチョフのコレクション全 32 点が一堂に!
ちひろ美術館は、ロシア国内を除き、ラチョフのまとまった作品を有する唯一の美術館です。1998 年の追悼展以来、28 年ぶりのラチョフ展となる本展では、立体作品を含むラチョフのコレクション全 32 点を一堂に展示します。

エフゲーニー・ラチョフ ロシア民話「マーシャとくま」 1965年

エフゲーニー・ラチョフ ロシア民話「つぼのおうち」 1959年

エフゲーニー・ラチョフ ロシア民話「つるとさぎ」 1965年

②ウクライナ民話絵本『てぶくろ』から、ラチョフの動物民話の魅力に迫る
おじいさんが落とした手袋で暮らすことにした、くいしんぼねずみ。すると「ぼくもいれて」「わたしもいれて」と、はやあしうさぎ、おしゃれぎつねたちが次々にやってきて……!? ラチョフの代表作である絵本『てぶくろ』は、日本でも 1965 年の翻訳出版以来、子どもたちからの絶大な支持を得て、国内の発行部数は 330 万部を超えています。本展では、『てぶくろ』の絵本原画 6 点と未収録のラストシーン 1 点を展示。ラチョフの動物民話の魅力に迫ります。

絵本『ウクライナ民話 てぶくろ』 (内田莉莎子 訳/福音館書店、1965年)

③ちひろ美術館コレクションでめぐる民話絵本の世界
ふたつの大戦と革命、世界初の社会主義国家の誕生と崩壊。ラチョフは激動の時代を生きた画家でした。展示室 2 では、ロシアの絵本の歴史をひもとくとともに、ちひろ美術館コレクションのなかから、東スラブの民話の世界を紹介します。困難な時代のなかにあっても、自らの表現の道を模索し、絵本を通して子どもたちに豊かな文化を伝えたいと願った画家たちの活動にご注目ください。

タチヤーナ・マーヴリナ 狼に乗って空を飛ぶイワン王子 1950年

出久根育 『マーシャと白い鳥』(偕成社)より 2005年

ヴィクトル・ドゥヴィードフ『せむしのこうま』より 1991年

展覧会チラシダウンロード

エフゲーニー・ラチョフ

Евгений Рачёв(1906-1997)

ロシアのトムスクに生まれる。幼少期を自然豊かなシベリアで過ごし、野生の動物に親しむ。1928年にクバン美術師範学校を卒業、翌年キーウの出版社で、挿し絵を描き始める。同時期にレーベデフやエフゲーニー・チャルーシンの絵本に出会い感銘を受ける。1936年、モスクワの児童文学出版社の招致を受けて移住し、以後精力的に動物絵本の制作に取り組むようになる。第二次世界大戦従軍を経て、戦後、動物たちに人間的性格を重ねた表現を取り入れた民話絵本を次々に発表。代表作に『てぶくろ』『マーシャとくま』(ともに福音館書店)『まほうの馬』(岩波書店)など。