【イベント報告】対談「ショーン・タンの世界を語る」岸本佐知子×柴田元幸(6/29開催)
ショーン・タンの作品を翻訳している岸本佐知子さんと、かつてタンと対談をしたこともある東京大学名誉教授の柴田元幸さんによる対談を行いました。未翻訳作品の朗読も交え、タンの作品の魅力や翻訳について語っていただきました。その一部を以下に紹介します。
ショーン・タンのファンタジー
柴田:今回の展覧会では、タンの再現アトリエがあって、そこにヒエロニムス・ボスの絵が貼ってあります。彼はいろんなアーティストから影響を受けていると思うけれど、『アライバル』に出てくるあの不思議な生き物なんかは、ボスからの影響という感じがします。でも、ボスみたいにグロテスクではないんですよね。
岸本:どの辺に惹かれているんでしょうかね。はじっこに描いてある人物はなにをしているんだろうと見ていると、そこから物語が始まっていくようなところが似ているように思います。
柴田:それから、タンは中国系のオーストラリア人じゃないですか。彼が出自をどこまで意識しているのかわからないけれど、最近のアメリカ文学、とくにSFで活躍している中国系の作家たちとの共通点も感じます。『紙の動物園』を書いたケン・リュウとか、テッド・チャンとか、あと台湾の人だけど『歩道橋の魔術師』の呉明益とか。彼らは、奇想天外な想像の無意識のなかに降りていくんだけれど、その先はそんなにドロドロした世界ではなくてさわやかなんですよね。
岸本:確かに。郝景芳の「折りたたみ北京」は、北京の人口が増えすぎたために空間を3つに分け、ルービック・キューブみたいに回転させて交代で地表に暮らすという物語なんですけれど、彼女の作品もリアリティはあるけれど、たしかにドロドロしていないですよね。
柴田:まあ、中国系といってまとめてしまうつもりはないけれど、タンのファンタジーは、例えばレイ・ブラッドベリみたいにバランスのとれたもうひとつの世界というよりも、現実をさわやかに歪めたかたちで映し出した奇想天外な世界があらわれているように思います。
ショーン・タンの細部へのこだわり
岸本:『エリック』は、不思議な交換留学生が家にやってくる物語です。最後に、留学生のエリックがメッセージを残していくのですが、これ絶対、柴田さんの書き文字が良いといって、書いていただいたんですよね。同じく『遠い町から来た話』のなかの「遠くに降る雨」では、私の字も含めて、いろいろな人の書き文字がデザインされているんです。これはたくさんの人が書いた詩がいつの間にか寄り集まって大きな玉になるという物語なので、この書き文字は本当に効果がありました。このなかで「偶然の詩だ」というのが決め台詞なんですけれど……。
柴田:これ、僕の字だ!
岸本:そう、柴田フォント(笑)。タンの遊びにつきあって、こっちも普段はやらないようなおもしろいことができました。
柴田:タンの細部へのこだわりはかなりのものですよね。
岸本:はい。彼はいつもページのはじっこでおもしろいことをやっているんです。例えば『ロスト・シング』でも、主人公が新聞広告を見つける場面で、背景の記事のなかに「Red Tape」を売りますと書いてあって。「お役所仕事」という意味なんですけれど、私は「鼻をくくる木」と訳しました。『遠い町から来た話』のなかの「記憶喪失装置」も細部に凝っています。これはディストピアの物語で、政府が変な機械で人々の記憶を都合よく消しちゃうんです。背景には「政府自身による政府の汚職の捜査に先立って“公式否定省”が声明を発表し、汚職の事実は見つからないだろうとの見解を示した」というような記事が書いてあって、細かい部分もすべて訳しました。
柴田:これまるっきりどこかの政権について書いてあるようで、リアリズムじゃないですか(笑)。
ショーン・タンとエドワード・ゴーリー
柴田:こういう凝りようは、僕が訳しているエドワード・ゴーリーにも通じるものがあります。
岸本:ゴーリーの『不幸な子供』に小さい黒い変な生き物が出てきますよね。
柴田:はい。すべてのページにひそんでいます。『アライバル』で主人公といっしょにいる変な生き物をはじめ、タンの場合は一見不思議なものでも、納得がいくような枠組みのなかにきちんと収めるんだけど、ゴーリーはまったく収める気がないんですよね。
岸本:タンの『夏のルール』は、兄弟のひと夏の冒険を描いた絵本ですが、どのぺージにもよく見るとカラスがいるんですよ。これは、遠いところから観察してなりゆきをジャッジしているような存在だと、タン本人がいっていました。
柴田:ゴーリーの絵本に出てくる不気味な生き物は、ジャッジしているというよりも、この世界を不吉に染めている感じですね。ゴーリーの『うろんな客』は、『エリック』にちょっと似ています。どちらも、ある日突然、不思議な訪問客がやってくる話で。エリックもなかなか不思議なことをするんだけど、うろんな客もいたずらばかりして。
岸本:エリックよりもだいぶ迷惑な感じですけれどね(笑)。
柴田:そう。エリックは「ありがとう とても楽しかったです」って最後は帰っちゃうんだけど、うろんな客は17年経ってもまだいるんですよ。
岸本:この翻訳、改めて読み直して、すごいな、これは自分には絶対できないなと思いました。短歌形式にして最後のひとことを四文字熟語にしたのはどうしてですか?
柴田:短歌の語尾がよくわからないから、それを悟られないように四文字熟語にしたんだよ(笑)。
岸本:短歌形式で、原文の意味がこぼれ落ちていないようにするのは大変ですね。でも、最後だけ急に、つげ義春ですよね?
柴田:そうそう。「今日に至ってもいっこうにいなくなる気配はないのです。」っていうところ。「李さん一家」の「実はまだ二階にいるのです」だったっけ?あれですよ(笑)。最後まで短歌形式を通すと型にはまりすぎてしまうと思って。
お互いの翻訳について
岸本:柴田さんの翻訳は心・技・体すべてが超人的だという感じがします。
柴田:僕も岸本さんの翻訳でうらやましいと思うところは大いにあって。だれかが僕の訳したものを「すごくおもしろかった、でも、できれば岸本佐知子に訳して欲しかった」と書いていて(笑)。
岸本:逆もありますよ。「『エドウィン・マルハウス』は、なんで柴田元幸の訳じゃないんだ」ってネットに書かれました。
柴田:でもそのコメントのいわんとするところはわかりますよ。岸本さんが訳すものは、僕が訳すものより常にちょっとずつ過激なんだよ。同じブライアン・エヴンソンを訳しているけれど、岸本さんが訳す作品はすごく暴力的なものだったり。お互いに反応する部分の共通点と相違点がありますよね。ショーン・タンとエドワード・ゴーリーもそうだと思う。
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