絵本でつなぐ「へいわ」のメッセージ:「私の傷あとは」
私の傷あとは、一生かかっても、とれないものであった。なぜこのように傷あとを気にするのでしょう。それは、みんなから「ピカドン傷」といって、からかわれ、またののしられ始めたからです。その時私は、こんなことぐらいと思って、父にも母にも云わないでだまっていた。
二十一年六月四日、また廣島に舞いもどってきた。そこでも私は、近所の人や同級生や、下級生までにばかにされ、いじめられた。そうして、いじめられながらも、がまんして、新制中学に入学した。…
高等学校へ入ってからは、校内では誰も云わなくなったが、中学時代の人に出会うと、町の中でも、どこででも、からかわれる。…
日本人は、なぜ人のことでも、悲しみと苦しみを分けあおうとしないのでしょう。私は一日でも早く、何ごとも笑って過せる日がくるようにと、一つの思いをこめて、心からお祈りいたしております。
藤岡悦子 高等学校二年生(小学五年生)より、一部抜粋
*記載は作文を書いたときの学年。( )内は、原爆投下当時の学年。
ことば:『わたしがちいさかったときに』(童心社、1967年)より

いわさきちひろ 枯れ草と少女 1970年
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◆絵本でつなぐ「へいわ」のメッセージ
戦後80年 ちひろと世界の絵本画家たち 絵本でつなぐ「へいわ」 の開催にあわせて、本展に寄せられた出品作家からのメッセージ、そして、広島で被爆した子どもたちのことばを、会期中、少しずつご紹介していきます。
◆開催中の展覧会:2025年7月26日(土)~10月26日(日)
戦後80年 ちひろと世界の絵本画家たち 絵本でつなぐ「へいわ」
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