いわさきちひろ そうじをする子ども 1956年

-

ちひろ・ていねいなくらし

どんどん経済が成長してきたその代償に、人間は心の豊かさをだんだん失ってしまうんじゃないかと思います。(中略)私は私の絵本のなかで、いまの日本から失われたいろいろなやさしさや、美しさを描こうと思っています。 (後略) 

1972年 いわさきちひろ

 

絵本画家として活躍しながら、一家の主婦として家庭を支えたいわさきちひろ。忙しいなかでも、おしゃれを楽しみ、食事にも手をかけ、家族と過ごす居心地のよい住まいをしつらえました。衣食住それぞれに工夫を凝らし、日々を愛おしむちひろのくらしぶりは、その絵のなかにも、当時の時代の空気とともに映し出されています。

おしゃれを楽しむ

ちひろは、華美に着飾ることを好んだわけではありませんが、ファッションにはこだわりを持っていました。若いころには得意の洋裁を生かして、自分でデザインした服をつくり、終戦後の物のない時代には麦わら帽子に花を描いて華やかにするなど、工夫しておしゃれを楽しんでいたといいます。髪型は子どものころから変わらずのボブスタイルでしたが、さまざまな素材とデザインの帽子で変化をつけ、季節や場面にあわせて、手袋やスカーフといった小物で装いました。

白いマフラーをした緑の帽子の少女 1971年

絵のなかでも、子どもの帽子やリボン、洋服の柄や配色にも趣向を凝らし、くつ下などにアクセントとなる色を施したりしています。特に秋から冬への季節、子どもたちは帽子やマフラー、色とりどりのセーターに身を包み、服の印象も一段と華やかです。装う子どもたちの姿からは、ちひろ生来のデザインの好みやファッションセンスも垣間見えます。

主婦として母としてのちひろ

ちひろは1950年に松本善明との結婚に際して、「お互いの立場を尊重し、特に芸術家としての妻の立場を尊重すること」という一札を入れた誓約書を交わしています。この文言には、画家として生きていくことの強い意志が感じられます。翌年には一人息子の猛が誕生、1963年には夫の両親を迎えての同居が始まり、67年には善明が日本共産党の衆議院議員となって多忙を極めるようになります。

アトリエの自画像 『わたしのえほん』より 1968年

1969年刊行のちひろの自伝的な絵本『わたしのえほん』には、妻として家庭での生活を営み、母として子育てをしながら、くらしのなかで絵を生み出していったようすが、いきいきと語られています。制約のないイラストを頼まれると自分の子どもを描いていた、と記した通り、1950年代以降、絵のなかには息子やその友だちをモデルにした子どもの姿が数多く登場するようになります。1956年制作のちひろ最初の絵本『ひとりでできるよ』(表紙)は、当時5歳だった息子に重ねて幼い男の子の日常を描いたもので、昭和のなつかしい風景とともに、当時のくらしぶりが伝わってきます。

食卓を囲んで

ちひろは1952年から1973年までの長きにわたり、ヒゲタ醤油の広告を手がけています。都会的で親子の愛情にあふれ清潔感のある画風が、宣伝担当のアートディレクターの目に留まり、新聞広告のカットやポスターなどで「ヒゲタの絵描きさん」として広く知られるようになります。「食」を題材にした作品には、主婦ならではのちひろの視点が生かされています。旧制高等女学校の教師で家事を教えていた母・文江の影響もあり、ちひろ自身、料理はかなりの腕前だったといいます。

母親とお手伝いをする子ども 1962年

 

ティーセットとグラスにさしたスイートピー 1971年

知人の結婚を祝ってローストチキンを焼き、息子のためにゼリーや焼きりんごなど手づくりのおやつを用意していました。

ちひろの庭 花と樹木のあるくらし

ちひろが22年間を過ごした練馬区下石神井(ちひろ美術館・東京所在地)の自宅の庭には、40種類もの草花や樹木が植えられていました。丹精込めて花や庭木を育て、室内に季節の花や鉢植えを飾り、料理やデザートの器に南天の実やもみじの葉を添えるなど、忙しい日々のくらしのなかでも、自然の彩りを取り入れることを忘れませんでした。ちひろは四季折々の草花や樹木と子どもたちのイメージを重ねて、花と子どもの絵を多く描いています。そこには、身近な自然やいのちを見つめる、あたたかなまなざしが感じられます。

チューリップと猫と少女 1960年代半ば

黒姫山荘でのくらし

1966年、ちひろは長野県信濃町の黒姫高原に、アトリエを兼ねた山荘を建てました。周囲の白樺やカラ松と調和する外観をもち、建物の設計のみならず、薪ストーブなど室内の調度類までの全てが、ちひろの好みで満たされていました。画家として活躍する一方、大家族の主婦として忙しい日々を送っていたちひろにとって、日常の雑事から離れ、野山を散策したり草花や山菜を摘んだりしながら、自然のなかで過ごす穏やかな時間は大切なひとときでした。理想のアトリエでもあった黒姫山荘からは、数々の作品が生み出されました。

ストーブに薪をくべる少女 1973年

本展は作品のほか、遺品の帽子やアクセサリー、食器など、愛用の品々を展示します。多目的ギャラリーでの文化服装学院との共同企画「ちひろの絵からイメージを拡げて制作した子ども服」もあわせて、お楽しみください。