谷内こうた 『なつのあさ』(至光社)より 1969年

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<企画展>谷内こうた展 風のゆくえ

ちひろ美術館としては1997年以来、25年ぶり、そして回顧展としては初めての谷内こうた展を開催します。

鮮烈な絵本デビュー

谷内こうたは染色工房を営む家に生まれ、芸術に日常的に触れる環境で育ちます。美術大学の進学を先生にすすめられ、多摩美術大学の油画専攻へ入学するも、時代は大学紛争真っただなか。大学からロックアウトされ、家業を手伝ったり、近所の円谷プロで大道具をつくったりしていました。そこへ、叔父で、既に「週刊新潮」の表紙絵を描くなど活躍していた谷内六郎に絵本の見本のようなものを描いてみるようにといわれ、考えて描いたものを3冊分持参し、至光社の編集者武市八十雄へ見せます。武市は、すぐにその場で絵本として出版することを決め、描いた本人を驚かせます。それが、谷内こうたの絵本デビュー作『おじいさんのばいおりん』と、『ぼくのでんしゃ』でした。なにも知らずに描いたとはいえ、そこには既に谷内の後の作品にも通じる現実と非現実が同居する不思議な空間や、広い空が描かれています。

谷内こうた 『ぼくのでんしゃ』(至光社)より 1970年

武市に、いわさきちひろの『あめのひのおるすばん』や、ビネッテ・シュレーダーの『おともだちのほしかったルピナスさん』などの絵本を見せられ、今までもっていた絵本の先入観が解け、自由な世界であると知った谷内は、さらに、自分の少年時代の思い出をもとに『なつのあさ』を描きます。自ら文章も手がけたこの絵本は、汽車の音と風景と想像上の景色が見事につながって展開しており、1971年日本人としては初めてボローニャ国際児童図書展のグラフィック賞を受賞します。

谷内こうた『なつのあさ』(至光社)より 1970年

ヨーロッパへ

若いころからフランスへ行くという憧れをもっていた谷内は、1971年武市の知り合いの住んでいるドイツの田舎町エバーバッハへ渡り、そこの家族とともに暮らし始めます。毎日のように油絵を描き、夏休みにはリュックひとつで旅へ出かけ、絵本は年に一冊描くという生活を2年半ほど続けます。今まで公開されることのかった、この時期に描いた油絵を本展では展示します。

村の景色を少し遠いところから見て描いたと思われるこの作品には、どこか初々しさが感じられるものの、欧州の秋の季節の空気や光が感じ取れます。

谷内こうた 村の入り口 1971-73年

1973年には念願のフランスへ移り、そして結婚し、長女が生まれるときに日本に帰国。1983年に再びフランスへ戻り、2019年に71歳で亡くなるまでノルマンディーの地で絵を描き続けました。

風と光と

 谷内の約30冊の絵本や、数多くの雑誌の表紙絵などのイラストレーション、そしてさまざまな大きさのタブロー。それらを見ると、彼の作品の多くが風景画であることに気づかされます。影の長さが変わっていく夕方の街、月の明るい空、熱い風の吹く浜辺……。バラの花の咲く庭や、緑がまぶしい川辺の道。「最初、ヨーロッパに来た時、いつまでいるかわからないし、風景は日本では描けないから今のうちに風景をいっぱい描いておこうという意識があったけれど、やっぱりだんだん好きになっていきましたね。」と語っているように、描き続けるうちに、風景を描くことが好きになっていったのでしょう。フランスの光は違うともいっていた谷内は生まれながらの画家でした。彼の50年近い画業のなかで生まれた作品の数々をご覧ください。