日本の絵本100年の歩み
今日に至るまでの100年におよぶ日本の絵本の歩みをたどってみると、そこには激動の社会情勢に翻弄されつつも、子どもたちに希望や自由を手渡すための、よすがとして、脈々と連なってきた豊かな表現を見て取ることができます。日本の絵本の歩みを、ちひろ美術館コレクションも含めた貴重な資料と原画でたどる本展は、内容を替えてちひろ美術館・東京でも開催します。本稿では大正期から1960年代までの日本の絵本を中心に紹介し、続編はちひろ美術館・東京の美術館だよりに掲載します。
1910年代~40年代前半―童画の誕生
1910年代、大正デモクラシーの機運を背景に、童話や童謡を中心とした子ども向けの雑誌が相次いで創刊されました。子どもたちに本物の芸術に触れてもらおうと、一流の作家や作曲家、画家が参加します。鈴木三重吉が主宰した童謡雑誌「赤い鳥」の創刊号を飾ったのは、清水良雄の絵でした。
「子供之友」では、漫画家の北澤楽天や画家の竹久夢二、村山知義らが起用され、子どもたちを楽しませる視覚的な要素が重視されました。
さらに、子どもたちに童話や童謡、季節の風物や行事などを絵を中心に伝える絵雑誌が生まれ、「コドモノクニ」を始めとする芸術性の高い絵雑誌を舞台に岡本帰一、武井武雄、初山滋といった画家が活躍し、「童画」という言葉が誕生します。文章のための添えられた絵ではなく、ひとつの独立した芸術として、童画は今日の日本の絵本の礎となりました。洒脱で都会的な童画のイメージは、当時の子どもたちに強烈な憧憬を掻き立てました。いわさきちひろも「コドモノクニ」に夢を抱いた子どものひとりです。絵雑誌は、次世代の絵本のつくり手や、芸術家に大きな影響を与えました。
しかし、昭和期に入り、日中戦争、第二次世界大戦による物資不足や出版統制があいまって、次第に絵雑誌のなかから自由で豊かな表現が消え、統廃合が繰り返されて、絵雑誌は衰退の一路をたどることとなります。
1950年代―「岩波子どもの本」と「こどものとも」
第二次世界大戦後、日本中に焼け野原が広がるなかで、民主主義という新しい思潮に支えられ、子どもたちに美しいものや、希望を与えるべく、絵本は再び息を吹き返します。石井桃子が編集長をつとめた「岩波子どもの本」では、高い水準の外国の翻訳絵本が刊行され、絵本のつくり手たちに刺激を与えました。このシリーズから、日本の作家と画家による創作絵本も生まれ、今日まで親しまれています。機関車を主人公にした『きかんしゃやえもん』もそのひとつです。
1956年、福音館書店は月刊絵本「こどものとも」を創刊します。編集長の松井直は、さまざまなジャンルから個性豊かな才能のある描き手を起用し、質の高い創作絵本を毎月刊行しました。初期の絵本のなかには、宮沢賢治の童話を茂田井武が描いた『セロひきのゴーシュ』の他、子どもの集団生活をちひろが描いた『みんなでしようよ』も含まれます。
「こどものとも」のテーマは、昔話や童話、子どもの生活に即した物語や科学など、その内容は多岐にわたります。子どもへの教条的な視点からではなく、子ども自身の発想に近づき、想像力や好奇心を刺激する内容は、子どもたちの人気を博し、繰り返し手に取られてきました。「こどものとも」では、横長の判型に横書きの文章も採用され、場面の展開を意識した絵本独自の表現が模索されるようになります。赤羽末吉の『だいくとおにろく』では、白黒とカラーのページが交互に展開し、「墨絵」と「大和絵」の表現で描き分けられています。日本の伝統的な美術の技法を取り入れて、格調の高い美しさと親しみやすさを見事に両立させています。
1960年代―あかちゃんから大人まで楽しむ絵本
1960年代に入ると、高度経済成長期の好景気を背景に、各出版社から趣向を凝らした単行本の創作絵本が刊行されるようになります。至光社では、編集長・武市八十雄が企画編集して、世界でも評価されるような芸術性の高い絵本づくりに取り組みます。ちひろと組んだ『あめのひのおるすばん』もそのひとつで、詩情豊かな絵で展開する絵本は、感じる心に訴えかけ、子どもだけではなく、大人も魅了しました。
一方で、あかちゃんを対象にした絵本も生まれます。童心社の編集長・稲庭桂子は、あかちゃんにも妥協のない文と絵による良い絵本をと考え、あかちゃん向けの絵本を企画します。『いないいないばあ』は、ことばのリズムと絵の展開で、乳幼児向けの伝承遊びを絵本にしたものです。松谷みよ子の文章、瀬川康男の絵、辻村益郎のブックデザインにより、あかちゃんの五感に訴えるミリオンセラーの絵本が誕生しました。
1970年代~1980年代
万国博覧会で幕を開けた1970年代には、日本経済が高度成長を経て、公害や自然破壊などさまざまな社会的な歪みが明らかになり、子どもを取り巻く環境も大きく変化しました。物質的な豊かさだけではなく、精神的な豊かさが求められ、「絵本ブーム」と呼ばれる時代が到来しました。絵で展開する絵本やことばのない絵本、読者として大人を意識した絵本など、従来の物語絵本の枠組みを超えたさまざまな表現が生まれました。1973年には、「月刊絵本」が創刊され、絵本の可能性を模索して、本格的な絵本評論が展開されるようになりました。1977年には世界初の絵本専門美術館としていわさきちひろ絵本美術館(現・ちひろ美術館・東京)が開館し、絵本原画が美術として享受されるようになり、絵本のつくり手とともに受け手の層も厚くなっていきました。
続く80年代は絵本における停滞期ともいわれますが、絵本画家たちがそれぞれの表現を深化させていった時期にもあたります。そのなかから、世代を超えて親しまれる絵本シリーズも誕生しました。また、1980年に日本人画家として初めて赤羽末吉が国際アンデルセン賞画家賞を受賞し、次いで安野光雅が1984年に受賞したことで、世界でも日本の絵本文化が評価される機運が高まっていきました。
1990年代
1991年から土井章史のプロデュースにより「イメージの森」と題したシリーズ絵本が刊行されました。既成概念にとらわれない個性的な内容は、大人にも子どもにも鮮烈な印象を与え、日本の絵本の新しい時代の幕開けを感じさせるものでした。1990年4月、絵本画家たちが中心となり絵本ジャーナル「PEE(ピー) BOO(ブー)」が創刊されました。太田大八は発刊のことばとして次のように記している「日本には、毎月おびただしい量の絵本が出版されています。またここ20年来、絵本作家や絵本のイラストレーターを志向する人の数も増加しています。しかし、それらの現象は必ずしも絵本の質の向上につながるものではなく、絵本の販売競争は、逆に、迎合、追随、媚態、といった後退の傾向を数多く見せています。」絵本のつくり手の内側からの熱を帯びた問題定義は、新たな絵本の動向へと直結していきます。また、「PEE BOO」での座談会を契機に、絵本を領域横断的に研究し、議論する開かれた場として1997年に絵本学会が設立されました。同年、絵本の歴史の展示室を擁する安曇野ちひろ美術館が開館する。他にも日本国内に絵本美術館が増え、絵本原画展も数多く開催されるようになり、絵本は文化財のひとつとして広く認識されるようになりました。
2000年代~
絵本の表現だけではなく、絵本を介したコミュニケーションまで大きく変えたのは、コンピュータとインターネットの普及です。日本全国の個人インターネット普及率は、2010年代に入り80%を超え、スマートフォンやタブレット型端末向けに大量のコンテンツが提供され、そのなかに絵本も含まれるようになりました。今日、コンピュータでつくられた絵本を、ウェブサイトで選び、モバイル端末で楽しむ親子の姿は、決して珍しい光景ではありません。一方で2001年のアメリカでの同時多発テロに端を発し、不毛な戦いが世界中で続くなか、平和や命の問題、人間の絆や心といったテーマが絵本のなかに切実に求められるようになった。2003年に勃発したイラク戦争に対するアクションとして、103人の絵本作家が集い『世界中の子どもたちが103』を刊行しました。また2011年の東日本大震災と福島第一原子力発電所の事故を契機に、日本の絵本作家が中心となり「3.11後の世界から私たちの未来を考える」というテーマでグループ展「手から手へ展」が開催されました。また、同年には、相互理解と平和を求めて、日本・中国・韓国の絵本画家と出版社が約6年におよぶ交流のなかから、「日・中・韓平和絵本」シリーズ刊行をはじめました。
出展作家
(敬称略・五十音順)
展示作品入替について
本展では以下の作品は会期を限定して展示をします。
2017年7月8日(土)~8月7日(火)
竹久夢二 青い海「子供之友」1915年
武井武雄 雀の洋服「子供之友」1927年
宇野亜喜良 『あのこ』カバー イラストレーション 1966年
2017年8月9日(木)~9月12日(火)
北澤楽天 象の富士登山「子供之友」1914年
村山知義 エノガッコウ「子供之友」1925年
宇野亜喜良 『あのこ』より 1966年
本展は内容を替えて
ちひろ美術館・東京
【開館40周年記念 Ⅳ】日本の絵本100年の歩み
(11月8日~2018年1月31日)
に巡回します。
ちひろ美術館・東京の会期に合わせて展覧会図録を刊行する予定です。
詳細は決まり次第、当館公式サイトにてお知らせします。
SNS Menu