安 泰 『スイッチョねこ』(フレーベル館)より 1975年

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<企画展> ―童画運動の旗手― ねこの画家 安 泰(やす たい)展

1920年代後半から童画を描き始め、童画の第2世代といわれる仲間たちのなかで中心的な役割を担ってきた安 泰(やす たい/19031979)。戦後も真っ先に童画の再興に取り組み、リアリズムに根差した愛らしい動物たちを、子どもの本に描き続けました。なかでもねこは、安にとって愛してやまない画題でした。本展では、特に得意としたねこの絵本を中心に、半世紀にわたる安 泰の作品の数々を展示します。また安が中心的役割を果たした童画運動の貴重な資料も展示し、日本の戦前から戦後にかけての童画界の動向も紹介します。 

安 泰 ペリカン 絵雑誌「コドモノクニ」9巻9号(東京社)より 1930年(印刷物)

童画運動の旗手として

安が童画を手がけたのは、日本美術学校で日本画を学んでいた1926年、アルバイトとして絵雑誌「コドモノクニ」に絵を描いたのがきっかけでした。大判のカラー印刷だったこの絵雑誌は、童画の文化が花開く土壌となり、岡本帰一や武井武雄ら個性豊かな画家たちが筆を振るっていました。安も次第に本腰を入れて童画に取り組むようになり、さまざまなスタイルを模索しながら自分の童画を追求していきました。そうしたなかで、安は、松山文雄ら若い童画家仲間とともに、先進の画家たちによる「日本童画家協会」の童心主義的な童画とは違う、新しい童画を創出しようと、1932年に「新ニッポン童画会」を設立しました。リアリズムの立場に立って子どもの現実に即した童画を目指したこの会の精神は、生涯にわたって安の童画の基盤となりました。1930年代は日本が戦争へと突き進んだ時代でした。1937年に日中戦争が勃発すると、本格的な戦時統制がはじまり、子どもの本も戦意高揚に利用されていきました。プロレタリア童画運動ともいえる新ニッポン童画会は危険視され、1940年には安も検挙されて半年間警察に留置されるという経験をしています。1941年、童画家たちのグループは「日本少国民文化協会」に統合され、新ニッポン童画会も消滅を余儀なくされました。太平洋戦争が開戦し、戦争賛美の絵本が増えていくなかにあって、動物画を得意とした安は『日本ムカシバナシ』(1942年)や『トリノエホン』(1943年)などの良心的な絵本を発表しました。

安 泰 絵本『トリノエホン』(富士屋書店) 1943年(印刷物)

 19458月、第2次世界大戦に敗れた日本には、民主主義という新たな価値観がもたらされました。1946年、民主主義的な子どものための美術を創造しようとする画家たちによって「日本童画会」が結成されます。武井武雄や初山滋、村山知義、松山文雄等が参加、安はこの会でも委員や事務所を務め、中心的役割を担いました。多くの子どもの本が求められた戦後の時代、安自身も数多くの絵本や絵雑誌、紙芝居等を手がけながら、展覧会や研究会の開催や会報の発行などの日本童画会の活動に尽力しました。その後も1964には「児童出版美術家連盟(童美連)」の創立に参加し、画家の著作権擁護の運動に取り組むとともに、日本童画会の精神を引き継ごうと「童画ぐるーぷ車」をいわさきちひろや滝平二郎等と結成しました。自宅でデッサン会や童画の研究会を開くなど、後進の育成にも努めています。子どもの本の仕事に真剣に向き合い、仲間たちの中心で童画の発展のために活動しながら、その絵は常に穏やかであるところに、安の人間性があらわれています。

愛しいねこたち

福島で生まれ、6歳から本籍地の茨城に移った安は、子どものころには田園風景のなかで、動物や虫たちに囲まれて暮らしていました。画家を志してからは、動物の骨格や生態を知ろうと犬や鶏、小鳥などを飼って観察し、動物園に通ってはデッサンを重ねています。安の描く動物は写実に基づきながら、やさしく、くったくがありません。特に子ねこが駆け回り、じゃれ合い、丸くなって眠る姿のかわいらしさは秀逸です。1970年ごろ、庭に野良ねこの親子が住むようになったときには、ねこをスダレ越しに観察してデッサンしたといい、この経験はその後の絵本の制作におおいに活かされました。ねこ好きで知られる作家・大佛次 郎(おさらぎ じろう)の文による絵本『スイッチョねこ』を、安は1966年、71年、75年と3回、絵を変えて描いています。ねこを観察するほどに、現実のねこのかわいらしさの表現をさらに追及しようとした画家の熱意が伝わってきます。自作の絵本『こねことこねこが』は惜しくも未完の遺作となりましたが、この絵本のための膨大な数の子ねこのデッサンが遺されました。ねこなら見ないでも描けるまでに習練を積みながら、なお観察を怠ることなく、誠実に子どもの本に向き合い続けた画家、安 泰。今、改めて、安の目指した童画を見つめ直します。

安 泰 ねこの親子 1970年代

安 泰 Tai Yasu

1903~1979

福島県に生まれ、6歳で本籍地の茨城に移る。1921年に一家で上京。日本美術学校で日本画を学び、学生時代から「コドモノクニ」などに絵を描く。1932年に松山文雄等と新ニッポン童画会を設立。第二次世界大戦後、1946年に日本童画会の結成に参加。1950年、第1回小学館児童文化賞受賞。1964年にいわさきちひろ等と童画ぐるーぷ車を結成。主な絵本に『スイッチョねこ』(フレーベル館)、『どこからきたの』(童心社)、画集に『安泰画集 ねこ』(童心社)などがある。1979年没、享年76歳。