瀬川康男『絵巻平家物語(五)清盛』(ほるぷ出版)より 1987年 個人蔵
絵本界の鬼才と呼ばれた画家・瀬川康男。本展では、画家が「坦雲亭日乗(たんうんていにちじょう)」と題した日記や黒いノートに綴ったことばとともに絵本やタブロー、植物スケッチなど、1977年以降の作品を中心に紹介します。
植物の写生
―草花は何を話しているか
風は何を語るか
聞くこと 聞いて書きとめること
黒いノートより 1977年9 月末ころ
1960年に初の絵本『きつねのよめいり』を出版してから、瀬川は画材や技法、印刷技術を探求し、1作ごとに画風を変貌させていきました。
1977年、仕事が多忙を極めるなか、締切りに追われる生活から離れ、群馬県の北軽井沢に移り住みます。日々、山小屋の周辺を歩き回り、植物を採取しては写生に没頭しました。個々の花弁の膨らみや、微細な花脈の一筋までをも描いたとりかぶとの写生からは、花のことばに耳を傾け、無心になって観察する画家の姿が伺えます。
この時期から、黒い小さなノートに、日々の記録や所感、山の植物の名称などを書き始めます。1980年7月、自然の造形美に向き合うなかで、写生ではその完璧さに及ばないと感じた瀬川は、「しばらく植物写生を休む」と記しています。写生に打ち込んだ4年間を経て、再び絵本やタブローが動き始めます。
『虫のわらべうた』
―絵と詩(ことば)を その生命の中心とする
あとの空間は 漂って ただの生きもの
黒いノートより 1983年
1979年、虫を唄ったわらべうたに絵を描く仕事が舞い込みます。この仕事は「お師匠」と慕う児童文学作家で研究者の瀬田貞二 が勧めたものでした。「自分のなかの虫」をとらえようと、草むらを歩き回り、虫の写生や習作を重ねる模索の時間が続きました。1986年に出版された『虫のわらべうた』では、デフォルメされたユーモラスな虫を、無数の虫たちが囲む独自の装飾の世界が構築されています。7年の歳月を経て辿り着いたこの絵本には、画家が自然のなかに身を置き実感した、小さな虫たちのいのちの波動が響き合っています。
『絵巻平家物語』
― 一日毎に絵につつみこまれていく
人の業とはかほど美しいものか
日記「坦雲亭日乗」より 1987年1月22日
1982年、瀬川は、長野県の青木村にあった古い大きな農家に居を移しました。
「坦雲亭(たんうんてい)」と名付けたこの家で、友人や編集者、愛犬との交流を深めながら創作に没頭します。1983年8 月から、瀬川は日記「坦雲亭日乗(たんうんていにちじょう)」に、日々の出来事や詩句、絵に関する思いなどを書き始めました。
坦雲亭で生まれた作品は多く、1983年から制作を始めた絵本シリーズ『絵巻平家物語』もその一つです。平家物語に登場する人物を選び全9巻で出版した『絵巻平家物語』は、50代のほとんどを費やし、全身全霊で描いた絵本でした。後に、この制作当時を、「ナマ皮を剥ぐような苦しさだった」と回顧しています。
瀬川は着手するにあたり、膨大な資料を読み込んだ後、それらを無意識下に沈めるため、1日にノート1冊の下絵を描き続けます。五巻の『清盛』では、全盛を極めた清盛が迎える壮絶な最期を暗示するように、作品全般に薄墨の色が漂っています。平維盛が、水鳥の大群の羽音を源頼朝軍の襲撃と間違えて逃げ去る場面では、薄墨のなかに、甲冑の意匠や着物の柄を日本古来の優美な色彩を使って浮かび上がらせ、重厚で高雅な現代絵巻の世界を描き出しています。
『ぼうし』
― 生きものは こどもからおとなになるのではない、
荘厳大地の手のひらでこどもの遊びをあそぶのである
日記「坦雲亭日乗」より 1983年12月29日
『絵巻平家物語』と並行して制作された絵本のひとつが『ぼうし』でした。桃太郎や弁慶が帽子をかぶり、「あなたいつまでかぶっているの」の反復で展開します。近所の子どもたちとあそんだ体験から生まれたこの絵本には、瀬川を「絵かきやさんのおじちゃん」と呼ぶ少女みほちゃんと、愛犬チーも登場します。山里に流れるおだやかな時間と愛しいものへ注いだ画家のまなざしのあたたかさが感じられます。
山里の自然のなかに身を置き、全身全霊で絵と向き合った坦雲亭での濃密な時間。そこで生み出した絵本やタブローなどの作品群と日記に記したことばは、画家が自らの心を深く見つめながら、「描くこと」を貫いて生きた証といえます。
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