西村繁男 『がたごとがたごと』(童心社)より 1999年

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ちひろ美術館コレクション展 列車でいこう!

「列車:旅客・貨物の輸送のために仕立てられた車両の一つらなり」(『辞林』三省堂)。蒸気機関車が最初に走行したのがイギリスで1804年、日本で初の鉄道は1872年に新橋―横浜間に開通しました。蒸気機関から電気へ、と技術の進化を受けながら、列車は今も国を超えて利用されています。絵本にも列車は時代を超えて登場するテーマのひとつです。

本展では、ちひろ美術館コレクションから列車を描いた作品をとりあげ、5つの章にわけて紹介します。 

汽車

大きな黒い車体、蒸気の吹き出す音、石炭の香り、汽車を初めて見た人はどんなに驚いたことでしょう。岡本帰一は、子どものための絵雑誌「コドモノクニ」や「コドモアサヒ」などに子どもの絵を中心に描き続けた画家ですが、蒸気機関車を描いたこの作品には、時代の最先端の乗りものへの憧れに似た気持ちが感じられます。トンネルから出てくるその姿は、重々しくスピード感と迫力に満ちています。

岡本帰一 汽車 1920年代 

ポーランドのユゼフ・ヴィルコンが描く絵本『ボンコ』には、バイソンのボンコが動物園から逃げていく道の途中で出会った蒸気機関車が、遠景から描かれています。線路の先にバイソンを見て慌てて停止した汽車のブレーキの蒸気や、機関士の驚いた顔まで丁寧に描かれ、画面からは、警告する汽笛音まで聞こえてきそうです。ヴィルコンの父親は鉄道員であったということもあり、汽車や鉄道には、どこか特別な想いがあったと想像されます。 

ユゼフ・ヴィルコン(ポーランド)『ボンコ』より 1969年 

路面電車―停車場で待つ韓国の絵本『かあさんまだかな』の主人公の男の子は寒い冬空の下、路面電車の停車場でひとり母親を待ちます。電車が到着する度に、「ぼくのかあさんは?」と運転手にたずね、その度に「知らないねえ」という返事とともに、路面電車は過ぎ去っていきます。男の子を含め、電車をじっと停車場で待つ人々と、来ては行く電車の対比が印象的です。画家のキム・ドンソンは、この絵本の核心のひとつを「待つこと」ととらえ、男の子の退屈した気持ちを、停車場の場面では単色の線描で表現したと語っています。

キム・ドンソン(韓国)『かあさんまだかな』(フレーベル館)より 2004年

地下鉄―消えた切符

同じく韓国のシン・ドンジュンの絵本に登場するのは、ソウル市の地下鉄3号線。ホームから乗り換えのために移動する人たちは、よく見ると、紙の切符をコラージュしてつくられています。今ではソウルの地下鉄では紙の切符は廃止されてしまったため、裏に磁気テープの線が入ったこれらの切符はもう存在しませんが、そのシャープでどこかユーモラスな形が、都市の賑やかな地下鉄のホームのようすをうまく表現しています。

シン・ドンジュン(韓国)『地下鉄は走ってくる』より 2003年

 『がたごとがたごと』

列車は、乗せた人々をある場所から別の場所へ移動する、旅の乗りものでもあります。その神秘と楽しさを同時に表現しているのが、西村繁男の『がたごとがたごと』(童心社)。『やこうれっしゃ』(福音館書店)に次ぐ彼の電車絵本であり、作家内田麟太郎との初めての共作でもあります。文章は「おきゃくがのりますぞろぞろぞろ」「がたごと がたごと」「おきゃくがおりますぞろぞろぞろ」の繰り返しのみ。そのシンプルなテキストとは反対に、絵は細部まで描きこまれており、降りてくる客たちをよく見ると、乗ったときと何かが違う……列車は、時や次元をも超える手段だったのです。

西村繁男『がたごとがたごと』(童心社)より 1999年

不思議な電車

電車は、画家たちの想像力を得て、思いもしなかった形に変化することがあります。そんな、不思議な電車が登場する絵本を最後にご紹介しましょう。 

『でんしゃえほん』は、タイトルのとおり、電車がページごとに登場する絵本ですが、こんな電車があったらいいな、という作者や私たちの願望が投影されています。例えば「かぶとむしでんしゃ」。よく見ると、かぶとむしの触覚に電線がつながっており、目はランプで足の先には車輪、なかにのっている子どもは虫取り網を持っている、と完璧です。井上洋介の電車への愛を感じるのは、自由な線でありながら、乗客、運転手、つり革など電車の各要素にも注目して描いているからです。

列車絵本の数々をお楽しみください。 

井上洋介『でんしゃえほん』(ビリケン出版)より 2000年