フセイン・ジャマアーン『魔法のビーズ』より 1997年
今年は12年に一度の酉年。鳥は古代から人間とともに生き、空を舞ってきました。本展では、ちひろ美術館コレクションのなかの鳥たちに注目します。
人になる鳥
エフゲーニー・ラチョフが描くロシア民話『きつねとつる』では、動物たちは人間のように服を着ています。きつねは、つるを食事に招待しますが、食べづらい平らな皿におかゆを入れて出したので、つるは食べられずに帰ります。次につるがきつねを招待したときには、細長いつぼにスープを入れたため、きつねは手が出ません。無念そうな顔のきつねと平静なつるが、壺を中心に対照的に描かれています。ラチョフの動物に対する的確な観察や構図の妙が、見てとれます。
同じつるでも、日本民話の『つるにょうぼう』は、助けられたつるが、美しい女の姿に変身して現れ恩返しをする話。絵本の表紙絵として、赤羽末吉は和紙に、はたを織る娘と空中に舞うつるの羽根を描きました。小さい羽根の数々が、つるが自分を犠牲にして、はたを織っているということを暗示しています。
象徴としての鳥
鳥は人に変化するだけでなく、それ自体が、シンボルとしても、登場します。
チャールズ・キーピングの『しあわせどおりのカナリヤ』では、黄金のカナリヤは幸せの象徴です。ビルの建設により外で遊べず、離ればなれになってしまったふたりの子どもたちを、自由の身になったカナリヤがつなぎます。この表紙絵は、その幸せな結末を、見事に表現しています。ことばを話さずとも、カナリヤはその存在だけで主人公です。
一方、ユゼフ・ヴィルコンの『森のコンサート』に登場する鳥たちは、それぞれどの鳥が一番美しい歌を歌えるかを競い合います。ヴィルコンは、色とりどりの鳥たちを、深い緑色の森の背景に描き、それぞれの奏でるメロディーがあたかも聞こえてくるようです。声のみならず、姿かたちも多様な鳥は、他と比べることの愚かさをも語っているようです。
SNS Menu