「子どもの肢体の魅力はかぎりない」と語ったちひろは、躍動感あふれる子どもの姿を、作品のなかにいきいきと描き出しました。32歳で息子をもうけてからは、日々の子育てのなかでわが子やその友だちの姿をスケッチに留め、どのような格好もモデルなしで描くことができると語るまでになります。ちひろは、母親としての愛情と、画家としての卓越したデッサン力によって、子どもたちのあらゆる姿を画面に定着することに成功した稀有な画家でした。
本展では、初期からのスケッチや育児書のカット、教科書、絵本『となりにきたこ』などを展示し、ちひろの子どもの動きの表現に注目します。
スケッチにみる線の変化
画家として歩み始めた1940年代後半からすでに、ちひろは近所の子どもたちの姿などをスケッチに数多く残しています。初期の素描からは、瞬間の動きをとらえるというよりはポーズをきめ、強い線や量感の表現によって対象に迫ろうとする姿勢がうかがえます。息子誕生後の1950年代になると、成長とともに活発になる息子の素早い動きを追うように、スケッチの線もやわらかく軽快なものへと変化していきます。
育児書のカット
1967年に手がけた『育児の百科』では、月齢別年齢別それぞれの成長段階に沿うようなカットが求められました。スケッチ取材で保育園を訪れたちひろは、月齢や年齢ごとのプロポーションや仕草を脳裏に焼き付け、カットでは10か月と1歳のあかちゃんのわずかな違いを描き分けています。あらゆる年齢の子どもの肢体を描いた育児書の仕事は、子ども百態ともいうべき魅力的な作品群を生み出しました。
『となりにきたこ』と線描表現の変化
ちひろは1970年、至光社での実験的な絵本づくりの3冊目となる『となりにきたこ』で、パステルを線描に用いるという新たな試みに挑戦します。かねてより編集者の武市八十雄から、“確かなデッサン力があるのだからもっと勢いを大切にしよう”といわれていたちひろは、一度は鉛筆と薄墨で仕上げますが、その出来に満足できず、3か月後に全画面をパステルで描き直します。顔料を棒状に固めたパステルの太い線は、ちひろが得意とする細かな描写には向かないため、それまでになく大きな紙を用い、勢いのある大胆なストロークで描き上げていきました。その制作過程を追うと、鉛筆からパステルへと転換するなかで、動きの表現にも大きな飛躍が感じられます。
パステルでの制作は1970年に集中したものでしたが、その後の線描表現をより勢いのある流麗な線へと変えています。
筆勢でとらえた後期の水彩表現
パステルによる大胆な線描表現は、ちひろの後期の水彩画にも大きな変化をもたらしました。1973年の『ぽちのきたうみ』では、太い筆を使い、勢いのある大胆な筆のタッチで、躍動する子どもの姿を一気呵成に描き留めています。生命力に満ちた動きの表現からは、最晩年のちひろの到達点が見えてきます。
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