いわさきちひろ 朝顔と3人の子どもたち 1970年頃
『窓ぎわのトットちゃん』(講談社)は、黒柳徹子(ちひろ美術館館長)の自伝的物語です。安曇野ちひろ美術館に隣接する、安曇野ちひろ公園(松川村営)では、いわさきちひろの絵で愛されるこの物語の世界を再現したトットちゃん広場(図1)が、2026年でオープン10周年を迎えます。それを記念し、本展では黒柳がつづる物語とちひろの絵を通して、あらためて本書の魅力を紹介します。

図1 トットちゃん広場 撮影:内山温那
戦後最大のベストセラー『窓ぎわのトットちゃん』
1963年の雑誌「婦人公論」(中央公論新社)に黒柳が書いたエッセイ「私の学校」では、「私は、珍しい小学校を卒業しました。」という書き出しとともに、小学校1年生でふつうの学校を退学になってしまった黒柳が、実在したトモエ学園に入学するまでの経緯や、トモエ学園のユニークな教育について紹介されています。
1974年、黒柳は新聞でちひろの訃報を知ります。ふたりに生前の面識はありませんでしたが、ちひろの絵が好きだった黒柳が花を贈ったことから、遺族との交流が始まります。トモエ学園の話を書くなら、いつも子どもの味方であり、子どものしあわせを願っていたちひろの絵を使いたいという黒柳の夢が実現し、1979年には、月刊誌「若い女性」(講談社)で「窓ぎわのトットちゃん」の2年間にわたる連載が始まります。黒柳は毎月、いわさきちひろ絵本美術館(現・ちひろ美術館・東京)に通い、ちひろのひとり息子である松本猛とともに、ちひろが遺した作品のなかから、エピソードにあう絵選びを行いました。(図2)

図2 こげ茶色の帽子の少女 1970年代前半
1981年に単行本として出版された『窓ぎわのトットちゃん』は、現在20以上の言語に翻訳され、刊行から45年を迎える今なお、世代も国境も超えたロングセラーとして世界中の人に愛され続けています。また2014年には、『絵本 窓ぎわのトットちゃん』が、2024年には42年ぶりの続編である『続 窓ぎわのトットちゃん』が刊行されています。

図3 猫とランドセルをしょった子ども 1969年
トモエ学園での日々
トットちゃんが通ったトモエ学園では、校長の小林宗作先生のもと、戦時下であっても、あらゆる子どもが持つよい性質を伸ばすための教育が行われていました。校門は地面から生えている木、教室は本物の電車でした。教室と図書室は、トットちゃん広場にある2両の電車「モハとデハニ」に再現されています(図4)。

図4 トットちゃん広場 電車の教室
授業は各自がどれでも好きなものから始めてよく、一日の時間割がすべて終われば、午後はみんなで散歩にでかけて自然を観察しました。また、毎日リトミックの時間があり、心と体でリズムを理解するために、講堂のなかで小林先生が弾くピアノの音に合わせて体を動かしました。こうした教育には、ヨーロッパでリトミックを学んだ小林先生の、子どもたちの心身両面の発達と調和を願う思いが込められています。トモエ学園には、ハンディキャップのある子どももいましたが、小林先生は「助けてあげなさい。」とは一度もいわず、「みんな、いっしょだよ。」をあいことばに、なんでもいっしょにやりました。

図5 「このあし たん」 1969年
子どもを見つめて
ちひろの絵がトモエ学園の世界と響きあうのは、ちひろが子どものしあわせと平和を願い、生涯子どもを描きつづけた画家だからでしょう。トモエ学園の小林先生は、子どもひとりひとりの個性と可能性を尊重する教育を重視していまし
た。トモエ学園で学んだ黒柳は、本書の縁でユニセフ親善大使に就任し、「世界中の子どもたちといっしょに」という想いを胸に活動を続けています。子どもの素晴らしさを見つめた、小林先生、ちひろ、黒柳の思いを感じながら、本展では、トットちゃん広場が未来につなぐ「みんな、いっしょだよ。」というトモエ学園の精神を見つめ直します。

図 6 「にじの はし」 1963年
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