いわさきちひろ(1918-1974)、茨木のり子(1926-2006)、岡上淑子(1928-)は、第二次世界大戦後、それぞれ、絵本画家、詩人、美術作家として活動しました。本展では、行司千絵・著『装いの翼 おしゃれと表現と―いわさきちひろ、茨木のり子、岡上淑子』(岩波書店、2025年)を起点に、装いをテーマに彼女たちがそれぞれに求めた美に迫ります。
いわさきちひろ
いわさきちひろは、大正デモクラシーの機運が高まる東京で、当時、興隆した児童文化を享受し、恵まれた幼少期を過ごしました。絵を描くことが好きだったちひろは、絵雑誌「コドモノクニ」を愛読し、夢を重ねます。女学校に入り、洋画家の岡田三郎助に師事して本格的に絵を学ぶようになると、絵を描いて生きていくことを望みましたが、戦争と家制度に阻まれます。第二次世界大戦後、子どもの本を舞台に画家として活動を始め、結婚し、子どもを育てながら、研鑽を積みました。ちひろは生涯、子どもをテーマに描き続けました。ときには語りかけながら子どもを描き、趣向を凝らした服を着せています。そこには、ちひろのファッションセンスとともに、子どもを慈しむまなざしが重ねられているようです(図1・2)。

図1 いわさきちひろ バラと少女 1966年

図2 いわさきちひろ 白いマフラーをした緑の帽子の少女 1971年
絵本画家として地歩を固めたちひろは、1966年、取材旅行を兼ねて、母を伴いヨーロッパをひと月ほど旅しています。旅先で描いたスケッチには、彼女の関心が映し出されています。風光明媚な景観よりも、そこに暮らす人々に共感し、日常の情景を数多く描き留めています。行き交う人々の装いのディテールからそれぞれの人生が垣間見られるようです(図3)。

図3 いわさきちひろ トレド 石畳の道を歩く女 1966年4月7日
旅にあたって、ちひろはお気に入りのブティックであつらえたコートやスーツで自身の装いも楽しみました(図4)。

図4 ちひろ フランス、ルーアンの町かどで 1966年
ちひろが描く子どもの絵は、ときには画家仲間から「甘い絵だ」と批判されることもありました。しかし、ちひろは「どんなにどろだらけの子どもでも、ボロをまとっている子どもでも、夢を持った美しい子どもに、見えてしまう」*1と語り、自身が感じる美をゆるぎなく描き続けました。それは彼女の装いにも通じ、55歳で亡くなるまで、どこか少女のようなみずみずしさのある装いを好みました。
茨木のり子
茨木のり子は、「わたしが一番きれいだったとき」など、戦後の混乱期を生きた女性の心情を代弁する詩から、「現代詩の長女」とも称され、気骨のある詩人として知られています。私人としては、レシピを研究してプロ顔負けの凝った料理をつくり、住まいを洒脱に心地よく整え、幼少期から培われた審美眼で買い物を楽しみました。イッセイミヤケのコットンのメンズシャツや、イタリアの高品質なブランド、ヘルノのシルクウールのスーツを着こなすと同時に、自宅に設えた家事室でミシンを使って洋服づくりを研究し、リメイクにも挑戦し、装うことを楽しみました(図5)。

図5 のり子 ワンピースにクロッシェを合わせた装いで 1956年
「言葉の流行とファッションの流行とは、どこかで通いあうものを持っている」*2と語ったのり子は、日常のことばの端々にまで鋭く洞察を深め、美を追求し続けたように、くらしや装いにおいても、真摯に、柔軟に、ときにユーモアを交えながらも、自身の感覚になじむ気品を備えた美しさを求めました。心を動かされたものへの探求と細やかなまなざしは一貫していました。のり子が79歳で逝去した後、49歳のときに死別した最愛の夫への想いや、共に過ごしたかけがえのない時間を結晶化した39篇の詩が発表されました。そこには、愛するものに真摯に向き合い続けたのり子の表現の核となる部分が浮かび上がっています。
岡上淑子
岡上淑子は、1950年から56年までの約7年の間に、約140点の独自のコラージュ作品を制作しています。美術作家・美術評論家で詩人の瀧口修造に見出され、活動をした後、長らく美術の世界とは距離を置いていました。彼女の作品が再び脚光を浴びたのは、2000年のことでした。以後、現在に至るまで、国内外で作品が展示され、再評価されています。
淑子のコラージュ作品は、一見すると写真作品のように見えますが、写真誌「LIFE」や「VOGUE」などのモノクロ写真を素材とし、切り抜いたものを緻密に貼り合わせることで、不合理なイメージを現出させています。1950年代のモードを色濃く映した女性像は、コラージュの魔術で不思議な夢のようなイメージをまとい、時代を超えた魅力を放っています(図6)。

図6 岡上淑子 彷徨 1956年 個人蔵 ©OKANOUE Toshiko(Courtesy of The Third Gallery Aya)
淑子自身が好きな作品として《海のレダ》(図7)を挙げて、こう語っています。「女の人は生まれながらに順応性を与えられているといいますが、それでも何かに変わっていくときにはやはり苦しみます。そういう女の人の苦悩をいいたかったのです」*3タイトルから、古来より多くの画家が画題としてきたギリシャ神話の一節、最高神ゼウスが白鳥の姿となり、スパルタ王の妻レダを誘惑する物語を想起させます。この作品では、白鳥を抱きかかえ、一体化して、大海原でしぶきをあげて前進するイメージが現れ、現代社会で活躍する女性の優美で颯爽とした姿にも重なります。

図7 岡上淑子 海のレダ 1952年 個人蔵 ©OKANOUE Toshiko(Courtesy of The Third Gallery Aya)
響き合う3人のまなざし
ちひろ、のり子、淑子のあいだに交流はありませんでしたが、彼女たちの人生と作品をたどると、共通する部分が見えてきます。彼女たちは、それぞれに恵まれた幼少期を過ごし、文化的な環境のなかで美意識を培い(図8~10)、戦争のただなかで青春時代を送りました。

図8 母・文江の手づくりワンピースを着た8歳のちひろ(右端)と妹たち 1926年

図9 10歳の誕生日を迎えたのり子 1936年

図10 小学生の淑子 母の千鶴子と
『装いの翼』の著者、行司千絵は、「生きるか死ぬかの厳しい状況に直面したとき、そのひとの価値観が顕わになるのかもしれない」と記し、彼女たちが戦時中に見つめたものに注目しています。食料が窮乏するなか、ちひろは銀座の百貨店で、美しい絵皿を求めて帰り、家族にあきれられ、防空壕にそっとしまったといいます。のり子もまた、美しいものに憧れを募らせていました。女学校を卒業し、薬学を学ぶために、郷里の愛知県から上京したのは敗戦の2年前でした。行司は「このころ、のり子の唯一の楽しみは星空を見ることだった。戦禍のなかに残されたたったひとつの美と感じた」と記し、勤労動員に向かうリュックのなかに星座早見表を忍ばせていたことを紹介しています。
淑子が東京の女学校に入学した翌年から、全校生徒がもんぺを着て防空頭巾を持参するようになったといいます。戦時下にあっても女学生たちがささやかなおしゃれを楽しんだ様子を淑子は今も鮮明に覚えているといいます。3人が目の当たりにした空襲を受けた東京の惨状はそれぞれの胸に深く刻まれたことでしょう。敗戦後、彼女たちが作品を発表し、表現を模索し始めたのはどのような時代だったのでしょうか。のり子は、エッセイのなかで1951年を回想して「戦後のこの時期は、あらゆる分野で閉ざされていた研究欲、表現欲が堰を切ったように溢れ出ようとしていた」*4と語っています。民主的な運動が興隆する時代の奔流のなかで、しなやかに、そしてゆらぐことなく自らの美を探求した彼女たちにとって、装うことは、暴力に抗い、自由と平和を表明し、世界へ羽ばたくための翼だったといえるのかもしれません。
*1 いわさきちひろ 表紙絵について「子どものしあわせ」(草土文化)1963年3、4月合併号より
*2 茨木のり子 おいてけぼり「ハイファッション」(文化出版局)1976年12月号より
*3 岡上淑子 夢のしずく「美術手帖」(美術出版社)1953年3月号より
*4 茨木のり子 いちど視たもの『女性と天皇制』(思想の科学社)1979年7月より
いわさきちひろ Chihiro Iwasaki(1918-1974)
いわさきちひろ アトリエにて 1973年4月
画家。1918(大正7)年、福井県武生町(現・越前市)に生まれ、東京で育つ。東京府立第六高等女学校卒業。藤原行成流の書を学び、絵は岡田三郎助、中谷泰、丸木俊に師事。1950年松本善明と結婚。翌年長男猛誕生。子どもを生涯のテーマとして描き、絵本に『おふろでちゃぷちゃぷ』(童心社)、『あめのひのおるすばん』、『ことりのくるひ』(至光社)、『戦火のなかの子どもたち』(岩崎書店)など。
茨木のり子 Noriko Ibaragi(1926-2006)
1969年 撮影:谷川俊太郎
詩人。1926(大正15)年、大阪で生まれ、6歳のときに医師である父の転勤により愛知県西尾町(現・西尾市)へ移住。帝国女子医学薬学専門学校(現・東邦大学薬学部)卒業。24歳で詩作活動を開始し、川崎洋と同人「櫂」を結成。谷川俊太郎・岸田衿子・大岡信らとともに詩壇を牽引する。詩集に『対話』(不知火社)、『見えない配達夫』(飯塚書店)、『自分の感受性くらい』(花神社)、『倚りかからず』(筑摩書房)など。
岡上淑子 Toshiko Okanoue
美術作家。1928(昭和3)年、高知県生まれ。文化学院デザイン科卒業。22歳から約7年間独自にコラージュを制作。瀧口修造に見出され、1953年、タケミヤ画廊で初の個展。同年「抽象と幻想」展(東京国立近代美術館)にも出品。2000年、44年ぶりの個展「岡上淑子フォト・コラージュ―夢のしずく―」開催後、国内外で作品を展覧。2018年、初回顧展「岡上淑子コラージュ展―はるかな旅」を高知県立美術館で開催。
SNS Menu